プロジェクト報告| 1| 2| 3| 4| 5| 6| 7| 8| 9| 10| 11| 12|
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障害者ボランティアを派遣し、障害当事者による被災障害者へのピアカウンセリング的な聞き取り、働きかけによるニーズ発掘をすすめようという画期的なプロジェクトがいよいよはじまりました。 被災障がい者センターいわての代表・今川幸子さんの要請から具体化したこのプロジェクトによって被災地の障害者と各地の障害者がつながっていくことで、これからの被災地の障害者の自立生活をすすめていくエネルギーが高まることが期待できるだけではなく、日本全体の障害者の自立生活運動にも大きな足跡を残す予感を感じます。ゆめ風基金としてもこのプロジェクトを共に推進しようとと300万円の予算を計画しています。 このプロジェクトでは当面来年の3月まで、障害者が介護者とともにボランテアとして一週間交代で現地に入り込み、支援活動をする計画です。 ゆめ風基金では、障害者ボランティア派遣プロジェクトに参加された方の体験レポートをお願いしています。 その一回目の現地報告です。 2011年7月4日(月) 「被災地障がい者支援センターいわて」での活動報告 <活動にあたって> 5月に盛岡を訪問したときに話し合った結果、障害者の存在をアピールすることが大事だという話になりました。そのためにはJILの加盟団体が障害当事者を被災地に派遣して、被災者のお宅を回って障害があるからって他人に迷惑をかけるからとかいうような無用な遠慮をすることはない、震災前と変わりない当たり前の生活ができるということ、更にはもっと当たり前に地域で暮らしていける社会ということを障害当事者自身が伝えていく必要があります。 岩手の障害者はただでさえ引きこもりがちだそうです。今回の震災後ますますその傾向が強くなるおそれがあり、そういった状況を変えていくためにも日本全国から障害を持っている人に来てもらって、肩身の狭い思いをする必要がないと言うことを伝えて欲しいと被災地障がい者支援センターの今川さんは言っていました。 そこで、メインストリーム協会として障害当事者スタッフ1名と健常者スタッフ1名が岩手に行き、被災された障害当事者に直接会いに行くことになりました。 【写真@】「被災地障がい者支援センターいわて」にて会議の様子 みなさん、マジメな表情。 <岩手県沿岸部の状況> 沿岸部の状況は5月に訪問した際に比べて整地が進み、新しく家を建てているところ、住居の補修作業なども至るところで見るところができました。しかし、場所によって道路の交通事情もあるのか、整地作業が重機を使って行われているところもまだ残っています。 避難所や親戚等へ避難していた人たちが、やっと出来はじめた仮設住宅へ入居申請をしたり、入居を始めているという状況です。 物資はある程度行きわたっているように感じました。大船渡市の役所でも救援物資の支給活動は6月末で終了し、残った物資等はボランティア活動を行っているところなどに委託となっていました。 町の中では津波によって海水が浸水し、それによって打ち上げられた魚や海藻が腐っているのかかなりの異臭が漂い、大量のハエが発生していました。今後気温が高くなってくるにつれてそれに伴う被害が増えるのか心配です。節電の中、ハエによって窓が開けられずそれに伴う室温の上昇による熱中症が心配されています。 たくさんの不安要素がありますが、それでも地元の健常者の人たちは復興ムードが出てきていると感じました。 【写真A】津波に遭った沿岸部地域 5月に訪問した時よりガレキが撤去されていた。 <岩手県沿岸部の障害者と接して> 沿岸部の障害者は健常者の復興ムードとは違いまだまだ悲惨な状況を強いられているように感じました。地元近所の社会資源、医療が完全に津波で流され、今まで送ってきた日常は全くおくれていない状況でした。 人工透析をしている方は通院が不可欠ですが、通院するための病院が流されたため遠くの病院までタクシーを使わなくてはいけません。それにかかる費用が莫大になり生活していくうえで多大な負担になっていました。家族も付き添う必要があるため、仕事探し、日常の生活を送るのにも大きな負担がかかっていました。 公共の交通手段がなくなり、町にあった買い物をする市場、髪を切る理髪店、薬などを買う薬局等、すべてが津波によって流され、物資を調達するにも役所などに取りにいったり、連絡をしてしばらく待たなくてはいけない状況もあるそうです。(物資は本人が来ないともらえないという対応の悪さもあるとか) 保守的な傾向のある岩手ではまだまだ障害者の権利という考え方が浸透していないため、なかなか近所との関わりがもてない人が多く、数少ない知人との交流も、デイサービス等での活動も外に出ていけない状況によってもんもんと家の中で暮らしている人が多くいました。 介助制度も乏しいうえに、非常時ということもあってか役所の対応もかなり悪く、人によっては家族と生活をしている人には派遣しないということもありました。このままでは障害のある人のいる家は一家共倒れになってしまうということは目に見えているのに、その状況を把握するだけの余裕は行政にはない状況でした。それに緊急事態だから自分は我慢しなければというような傾向も少なからずあり、困っていることを強く言えない状況にもあるように思います。 仮設住宅もいたるところで建設が進んでいますが、私たちが訪問したところすべて仮設住宅の周りは砂利が敷き詰められて、スロープはついていませんでした。 写真B】仮設住宅バリアフリー化が進んでなく砂利道&スロープがついていない 障害者はもちろん、高齢者やベビーカーの家庭は住みにくい! 残念ながら内装は見ることができませんでしたが、支援者の中には入浴ができない、家の中が車いすを利用できないくらい狭いため這って生活をしなくてはいけない、洗面台にいけない、トイレに入れないため簡易トイレが必要な人もいました。 非常時であることは仕方がないことかもしれませんが、こういった避難生活を送らなくてはいけない障害者たちはなかなか情報も得られず、どこに伝えればそれが解決できるのかということも知らない人が多く、また今は無理だろうとあきらめている人も相当いるという状況でした。 そんな状況下被災地に当事者が行くことは本当に意味があることだと思いました。 支援や情報提供だけでなく、ちゃんと要望していこうということを伝え、悲惨な生活状況を一人や家族が抱え込むのではなく、一緒に解決していこうということが訪問するというだけで伝えられます。被災している障害者の共通することは孤立化していることだと思います。外出もままならず、地域の交流もできず、普段もんもんとしてる生活状況を解決する原動力になるのは障害当事者が訪問し一緒に解決をしていくネットワークを作っていくことだと強く感じました。 <被災地障がい者支援センター> CILもりおかの事務局長である今川さんを代表として、責任者八幡さん、専従スタッフ5名と全国からのボランティアが集まり、被災沿岸部を中心に被災障害者を支援しています。 主に、避難所や仮設住宅、自宅で生活している障害者への物資提供や人的支援などを行っています。(物資提供のみの支援は7月末で終了し、人的支援や移送サービス、社会資源への引き継ぎに移行していく)。その他では仮設住宅の調査(スロープの設置状況、集会所の有無、障害者の入居状況、住宅改修の相談等)を行っています。 開設当初は被災されている障害者がどこにいるか町の人に聞いたり、ポスティングを行ったりしていました。6月半ばくらいから何人かの支援がはじまり、そこから口コミで支援センターの事が伝わり、支援が本格化していきました。 現在は見守り支援、移送、自宅へ介助者を派遣、引き続き聞き込み、ポスティングを行っています。 【写真C】被災地障がい者支援センターいわて 夜7時10分頃の事務所の外から撮影 <現在の一日の流れ> 8:00 センター出発、 10:00 現地活動 (見守り、介助支援、ヒアリング、ポスティング、避難所・仮設住宅訪問、物資の手渡し、役所へ訪問) 15:00 帰還開始 18:00 センター帰還 18:30 夕食 20:00 全体報告会議 *現地の活動が早朝になる場合は遠野の支部で宿泊し朝から活動を行うこともあります。 報告会議は内容によって深夜になることもしばしばあります。 <感想> 今回訪問することになってまず感じたことは、こういった災害時になると置き去りにされてしまうのはやはり社会的弱者であり、その方々へのサービスが行きわたるには健常者が復興にとりかかるよりずっと後になってしまうことだと感じました。 世間的にみると、まるで復興ムードだなと思う昨今ですが、障害当事者たちの生活状況を目の当たりにして、本当に震災当初と一体何が変わったのか、ただ支援を必要としている人が浮き彫りになっただけだという印象をうけました。 支援を行うにしても、支援を必要としている人の情報開示も少なく、支援センターがどういうところなのか場合によっては不審に思われる方もあったり、支援をされていることが近隣の住民にわからないようにしてほしいという話もありました。 支援先の遠さも大きな問題で、盛岡から車で2時間半かかる今の状況化で、本当に必要な支援を行っていくのは今後難しくなってくるでしょう。早朝から遅くまで活動をしている支援センターの方々も心身ともに負担が大きくなってくることは目に見えています。 今後拠点を沿岸部に作り、それにともなって支援の内容も変わってくると思われますが、このような状況で続けていくのには無理があると感じました。 そんな激務の中、支援センターの皆さんは本当に毎日を明るくすごしてらっしゃったことには頼もしさを感じました。なかなか状況的に難しいこともたくさんありますが、そんな彼らのおかげで少しづつセンターへの信頼が得られるようになってきているということも感じました。 被災者のところでは本当にたくさんの被災地障害者のおかれている状況、地震・津波があった時の状況を話していただきました。近所では「みんなが被災者だから・・・」ということでなかなかそういった話をする場所もなく家の中でもんもんとされているということも感じました。そんな中障害当事者である私が被災者のところに訪問することは彼らのもんもんとする生活の一部を語ることのできる貴重な時間だったのかもしれません。 西宮での生活の話をこちらからもする中で、「やはり当事者が声をだしていかなくては」というような話も聞くことができました。 復興をするのは現地の方々なしにはありえない中、障害当事者たちこそが今後の復興に声をだし、今後の町づくり、本当の意味での『災害に強い街』の実現ができると心から感じました。 不謹慎かもしれませんが、津波によってできた大きな被害を今後新しいまちづくりへの大きな起点、障害者たちがまちづくりに参画していくという大きなチャンスに変えていってほしいと切に感じます。 そのためには今後障害当事者たちが被災地にどんどんと行き、被災者をエンパワメントしていくことが本当に今求められていると感じました。 | |
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メインストリーム協会 |
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障害者ボランティア派遣プロジェクトは、6月末に西宮市のメインストリーム協会の障害者がはじめて現地に入りました。障害当事者による被災障害者への働きかけによるニーズ発掘をすすめることで被災地の障害者とつながり、自立生活をすすめていくための課題を共に担うこのプロジェクトは、当面来年の3月まで、障害者が介護者とともにボランテアとして一週間交代で現地に入り込み、支援活動をする計画です。 すでに2回目のレポートを掲載させていただきましたが、今回2回目の報告を掲載させていただきます。 2011年7月15日 被災地障がい者支援センターいわての活動報告書 メインストリーム協会 太田雅之 林 龍司 期間:2011年7月2日〜7月9日 被災地の訪問先:釜石市、山田町、大槌町、宮古市 ○主な内容 被災にあった障害者の人または家族に会い、物資の調達や見守り・通院の介助、買い物などをおこないました。 盛岡市から被災地の沿岸部地域へ行くには片道3時間くらい係るため、正味の現地活動は長くて5時間程度でした。そして太田が行った所には、視覚障害者や知的障害者の支援が大半で介助者を使っての自立生活を話す機会がなく、瞬く間に一週間が過ぎてしまいました。 ○引き継ぎ 6月26日から被災地センターに来て活動していた二人(畑と松島)と、大まかな引き継ぎをしました。事前に松島より活動記録を毎日のメールが送られてきていましたので、特に詳細に引き継ぐことはありませんでしたが、宮古市に住む重複の男の子と、山田町に住むリウマチを持った女性については、より賢明なサポートを引き続きしてほしいと言われました。またセンターの代表を交えての引き継ぎでは、太田から施設も回ってみたい案を出しましたが、「施設は被災していないから、センターとしては回れない」という回答で、少し出鼻をくじかれた感じでした。 ○おおむね一日の流れ 5:30〜起床、トイレや洗面などを済ませて6:40ぐらいにアパートを出る 7:00〜センターに到着、朝食 7:30〜センターを出発 10:00〜被災地に到着 救援活動の開始(家の片付け、依頼物資の調達、病院の通院、買い物の付き添い、見守りなど) 16:00前後〜被災地を出発 19:00前後〜センターに到着、夕食 20:00〜報告会議 23:00〜終了 23:30〜アパート到着、入浴 25:30〜就寝 ○各地域の被災状況 ・釜石市:建物の形はまだ残っていましたが、人が住めるところはなくてがれきが多く積まれた状態のままでした。津波でぶち抜かれた玄関には、勇ましい祭り姿の男性の写真がおいてあったり、またはサッカーボールが二つ、もう誰にも駆られることもなく転がっている光景などを目の当たりにした時、衝撃のあまり言葉を発することさえも出来なかったです。 ・宮古市:宮古市は海岸沿いにある市役所付近が1階辺りまで浸かったようでしたが、その他の被害は少なくて、生活するには大丈夫でした。 ・山田町:海岸沿いは、ほぼ全滅状態で家の基礎部分がかすかに残っていました。少し高台のところは、床下浸水があったものの大きな被害は見受けられませんでした。 ・大槌町:同じ町内であっても地域によって被害状況が全く違っていました。酷いところは本当にここに家があったのかと疑うくらい跡形もなく、少しのがれきが落ち居ているだけでした。そして高台へ行けば、のどかな家並みが立ち並んでおり、何も津波が来た形跡すらなかったです。 ○障害者の状況 津波で住めなくなった障害者の方々は、随時避難所から仮設住宅へ移りつつある状況の中で、仮設住宅での改造費用が自己負担でしてくれという自治体もあり、いくら国レベルでは復興支援費用に含まれているといっても、まだまだ地方自治体まで下りてくれば話が通らないケースが住宅改造に限らず、多くの制度が滞っていました。 実際に宮古市の市役所へ行って障害者の生活状況を聞いてみたところ、一人暮らしをしている重度障害者の人は居なく、家族や施設に入所されている人ばかりでした。太田が福祉課の担当者へ生活手段を尋ねたら、入所や通所の施設が載っている冊子を見せられて紹介して下さりましたので、「重度訪問を使って生活がしたいんですが」と切り返したら、重度訪問を扱っている事業所がないという答えで、会話が途切れてしまいました。 この現状は僕たちが回った市町村では、みな同じような状況でした。 ○救援依頼の内容 衣服・電化製品から始まって、視覚障害者やリウマチの人からの救援依頼は、外出介助(主に買い物・通院が多い)と津波で泥まみれにたった家財道具の片付けでした。あとはお母さんが買い物などで家を空けるために障害児を観てほしいと言った見守り介助も多くありました。 これらの依頼について、震災前は海岸沿いにあったヘルパーステーションがおこなっていた業務でしたが、聞くところによれば事務所自体が津波で流されて、機能が停止していたために当初の被災センターがポスティングしたチラシを見て依頼してきたケースが大半だったようです。 ○障害当事者の役割と今後の展望について 現時点で障害当事者の役割は「ない」に等しく、センターのスタッフと一緒に行き、支援している横での声かけをするぐらいなものですから、方向性としては支援のチームとピアサポートのチームに分かれた上で行動しつつも情報提供は取りながら、1人ないし2人の障害者が長期にわたりセンターのスタッフと活動していけるような体制が取れたら望ましいと思いました。 これから続けていく障害当事者スタッフには、上記の方向性を現地で提案し続けるように引き継ぎをしました。 ○終わりに 一週間と言う短い期間の中で、自分たちに何が出来るのか模索し続けて大きな事は何も出来ないままに終わってしまいました。しかしながら、終盤にかけて林君からセンターの代表と話す中でメインストリーム協会のスタッフには遠慮せず、どんどんと何でも言ってほしいことが伝えられ、有効にコミュニケーションを取ることが出来たので、今後の支援には、大きな流れが作れたと思います。 | |
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藤原勝也 |
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当事者派遣プロジェクト報告(7月9日〜16日) メインストリーム協会から三組目として、私と桐間で7月9日から16日で盛岡へ行ってきた。夜は涼しかったが、日中は関西と変わらないぐらい暑い日が続いた。 被災地センターの活動は、支援物資やサービス(移送、介助等)の提供が主だったが、障害当事者による当事者支援を特にピアサポート活動として位置づけられることになった。私たちは後者の活動を中心に行った。被災地センターのスタッフの多くはCILにあまり関わったことがない人で、当事者の活動の大切さを実際の活動を通して感じてもらう必要があった。 7月11日の被災地センターの事務局会議(毎週月曜開催)で今後の活動について話し合われたときに、支援活動を徐々に縮小させていって遅くとも8月末には終わらせて、自立に向けたピアサポート活動を中心に行っていくことが決まった。そんな流れもあって私はピアサポート活動の中で自立生活を伝えることに重点を置いた。 私が訪問した被災地は宮古市、大船渡市、陸前高田市であった。そこで自立に興味を持っている障害当事者に会った。そのうちの一人はまだ10代で将来のことを色々考えているみたいだった。障害の感じが私と似ていて、自立生活の話を真剣な姿で聴いていた。重度障害者の自立のイメージが少しつかめた感じだった。 今回出会った人の何人かは、実際に自立している人に会うのは今回のIPTが初であるが、インターネット等を通して情報を得ていた。沿岸部においても活動を続けておくと障害者の情報が入り、自立に興味がある人を発掘することも可能ではないかと感じた。 しかし、課題もある。今のところ被災地センターとCIL盛岡の活動は一つになっていなくて、実際に自立生活をやりたい人が出てきたときに十分な支援が出来ない状況である。被災地センターは被災した障害者全般の課題に取り組んでいて、自立に特化しているわけではない。やはり自立を支援していくには自立生活センターは欠かせない存在である。今後、両者が協力して支援していける体制づくりが必要であると感じた。宮古市に拠点を作るという話があるが、岩手県で自立生活する障害者が増えていかないとCILの活動が広がっていくことは難しいと思った。CILは障害者がリーダーとなって主体的に作っていくものである。 難しい課題が横たわっているが、被災地センターの中は段々明るくなっていって、皆で協力してやっていくという雰囲気が出てきた。最初自立生活のことを知らなかったスタッフにも少しずつ私たちが伝えていくことで理解が広まっていった。自立の重要性が認識されるようになってきたことは良かったと思う。 | |
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鍛治 克哉・脇 英二郎 |
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「被災地障がい者支援センターいわて」での活動報告 2011年7月25日 ≪活動内容≫ 私達は7月16日〜7月23日まで活動しました。私達が一週間の活動としましては主に現地の障害当事者の方の支援と岩手県宮古市にセンターを立ち上げると言う事でその物件探しなど当事者目線で行ってきました。 最初に私達がした事は、当事者をさがす目的で岩手県田野畑村にある「ハックの家」という作業所の夏祭りに出かけました。田野畑村までは盛岡のセンターから片道2時間半ほどかかる所にあり山の上にポツンとあるような作業所でした。その祭りには作業所関係者や地元の住民や青森のボランティアなど150名ほど来ていました。お祭りでは青森からのボランティアの方々がお肉やスイカなどを無料で振舞っており活気があり復興ムードが伝わってきました。中でも岩手名物「さんさ踊り」は祭りの盛り上げをいっそう引き立てていました。その祭りで作業所の当事者のOさん(27歳女性、脳性まひ)に出会いました。手動車椅子に乗っているが自分ではこぐ事はできないかたでいろいろ話をすることができました。その中で彼女の悩みとしては主に3つありました。 ●同年代の当事者と話をしてみたい。 ●買い物などを通して外出してみたい。 ●もう少し自由に使えるお金が欲しい。 と言うことでした。同年代の当事者と話しをしてみたいということについては、やはり私達の住んでいる西宮とは違い障害当事者と出会うことがめったに無いようでした。その作業所にも会話ができる人はいるようですが2人しかいないし1人は入院していているようでした。 買い物などを通して外出してみたいと言う事については買い物に行くための支援がないということでした。 もう少し自由に使えるお金が欲しいという事については、作業所から貰える工賃(3000円程度)しか使えないらしく買い物もままならないようでした。 それをふまえて今後の支援体制としては一週間交代でくるメインストリーム協会からの当事者スタッフが支援を継続していくことになりました。 具体的な支援内容としては本人の胸の内を話をしてもらい(ピアカウンセリング方式で) つつ外出などにつなげていければと考えています。 次に活動した事としましては被災地障害者支援センター岩手が岩手県宮古市に被災地障害者支援センターを立ち上げたいということで宮古市で物件探しを行いました。 なぜ宮古市でセンターを立ち上げるかと言うと盛岡市と宮古市などの沿岸部は車で片道2時間以上かかり効率が悪いということと、冬になると盛岡市と沿岸部をつなぐ道路が寸断される可能性があると言う事でした。被災地センターがどういうセンターを宮古市につくりたいかと言うと現地の当事者があつまれるような場所にしたいと言う事でした。 その物件探しでは宮古市で2件ぐらいみることができました。そのうち1件は津波で80センチつかってるものの、当事者目線でみても、とても広々としていて当事者が集まれる環境としてはとても良い印象を受けました。 この他の支援としましては仮設住宅に住んでいる方々の人工透析治療のための通院の送迎を何件か行いました。仮設住宅と病院とはかなり距離があり、毎回タクシーを使っているとお金が凄くかかってしまい生活ができなくなるいう状況でした。 送迎のサービスなどは被災地はまだ機能していないようで困っているふいともまだまだいそうな印象を受けました。 ≪全体を通して≫ 被災地の街の現状は震災から4ヶ月経っていてガレキなどは片付いているとはいえ街がまるまる無くなっている様子は悲惨な状況であった。所々に、まだ震災当時の被害をうけた建物が残っており津波の凄さを物語っていました。支援を通して被災した方々にいろいろな話をうかがう事ができました。沿岸部は漁業の町なだけに港が壊れていたり船が流されていて仕事に復帰できない人が多数いられると言うことでした。 障害当事者に関しては街で見かけることは極端に少なく、もう少しいろいろな人と出会いたかったが出会えなかったことが少し残念ですが、ハックの家で出会ったOさんとの出会いを大切にし、これからもいろいろな形でつながっていきたいと考えています。 今回のこのような経験や活動を今後の私達の活動に生かしいろいろな方に伝えていきたいと考えていると同時に岩手県の障害者福祉の発展に微力ながら貢献していこうと考えています。 | |
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茂上裕太郎・中来田護 |
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岩手報告 メインストリームから5組目として、7月24日から8月1日まで活動してきました。被災地センターの雰囲気は明るくとてもとけ込みやすかったです。 被災地センターの主な活動内容は、障害者の支援や物資提供(7月で終了)ですが、高齢者の支援が多い印象でした。 最もうれしかったことは、1週間のすべてのスケジュールをピアサパート部門として組む事ができたという事です。 私達のスケジュールです。 7月23日(土) 岩手到着 鍛冶・脇ペアから引き継ぎ 24日(日) 休み 25日(月) 会議(この会議で1週間の予定が決まる) 26日(火) Aくん宅訪問(一緒に外出) 27日(水) 宮古市の障害者支援団体を訪問 28日(木) CIL盛岡訪問 29日(金) ハックの家訪問(Oさんと話) 30日(土) 平田・楠ペア到着 引き継ぎ 31日(日) 四季の郷 夏祭り(障害者入所施設) 8月 1日(月) 帰宅 月曜日の会議で1週間のスケジュールが決まります。メインストリームのメンバーで支援中のAくんとOさんのところに訪問したいという事と、CIL盛岡に行きたいという希望を出して上のようなスケジュールになりました。 Aくん宅訪問 Aくんは宮古市に住んでいる重心の男性です。宮古市は津波の被害が合った場所ですが、Aくんの家は小高い場所にあり被害は少なかったようです。 被災地センターから定期的にボランティアを派遣していて、メインのグループも必ず行っています。 今回の内容は、車で浄土浜に外出しました。(ちょっとしたILP)今回、初めてお母さんは家で待機し、ボランティアスタッフだけでの外出です。 観光地も少しずつですが、復興しつつありましたが、エレベーターは壊れており観光船には乗れませんでしたが、Aくんも楽しんでいました。 ご飯を食べて家に帰りました。帰ってからはお母さんとの話しです。 お母さんは、自分が先に死んでしまうので、介助になれた生活を望んでいます。 メインストリームの人達も係わっていたので、自立のことも少しながらわかっていると思います。ただ、自立の事が周りの親に分かってもらえずに、周りから浮いてしまうという事も話しておられました。本人は「大丈夫!」笑いながら話しておられましたが、サポートが必要であると思いました。 Aくんは、日曜日の四季の郷のお祭りにもこられます。ちなみに、土曜日から初の泊まり介助(被災地センターのボランティアスタッフ)を利用してこられるそうです。そして、8月10日のCIL盛岡での納涼焼き肉大会にも参加されるようです。 Aくんと行った浄土が浜 船に乗れなくて残念!! Oさん訪問(ハックの家) 金曜日に田野畑村の作業所「ハックの家」に行ってきました。利用者Oさんと1時間ぐらい話をすることができました。その中でひかりさんから、 ・外出したい。 ・リハビリに行きたい。 ・自由に使えるお金が欲しい。 ・ケータイの使い方を教えて欲しい。 などの気持ちが出てきました。 ヘルパーは使っているようでしたが、入浴などの家の中で使うことが中心で外出はできていないようでした。Oさんは「お店も遠いしね…」と行っていました。 8月10日にある焼き肉の案内も渡して来ました。Oさんは「遠いからどうかな…」と言っていましたが、家族との問題もあります。もし行けるのであれば、介助者、送迎を考え、担当職員のKさんには家族との間に入ってもらい、焼き肉に行けるように支援していく方向です。 田野畑村の「ハックの家」 ここのパンおいしいです!! 今回、1週間岩手に行って感じた事は、社会資源が少ない事と、閉鎖的という事です。元々、社会資源が少ない地域が被災してしまって、そこに住んでいる障害者はさらに困っているって感じです。被災地センターの利用者には高齢者も多く、自立を目標とした支援ができる利用者はわずかです。今後活動の中で障害者を探し、表に出てこないニーズを見つける事がピアサポート部門の役割だと感じました。 仮設住宅 砂利がとても深く車椅子では走れません。 電動車椅子操作不能になりました!! | |
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平田・楠 |
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被災地障がい者センターいわて 活動報告 平田・楠の2人は7月30日〜8月6日まで活動してきました。 被災地センターでは、ピアサポート部門として被災された方や施設に居られる方など色々な方にお会いして来ました。 被災地障がい者センターいわてでのスケジュール。 7月30日(土) 岩手到着、茂上・中来田ペアと引継ぎ。 7月31日(日) 大槌町にある障害者入所施設、四季の郷の夏祭りにボランティアとして参加する。頚椎損傷の方に出会う。 8月 1日(月) 休み 岩手さんさ踊りを見に行く 8月 2日(火) CIL盛岡に行く。 8月 3日(水) 田野畑町のハックの家に来ている脳性マヒの方に会いに行く。 8月 4日(木) 大槌町の四季の郷に入所している頚椎損傷の方に会いに行く。 8月 5日(金) 大船渡の仮設住宅に住んでいる胸椎損傷の方、陸前高田に住んでいる筋ジストロフィーの方に会いに行く。 被災地障がい者センターいわてでしてきたこと。 @7月31日に大槌町にある障害者入所施設にボランティアとして行きました。そこでたまたまセンターの専従スタッフの方が介助に入ったのが頚椎損傷(C3)の男性で、西宮から同じ障害を持った人が来ていると伝えると、是非話したいとのことでお会いすることが出来ました。 その方は施設に入って6年になるそうで、地域で生活したいと話されていました。7年前に自立に向けて盛岡市と話をしたのですが、1日4時間しか出ないと言われ諦めていたそうです。施設では地域で生活する話が出来ないので後日会うことにました。 8月4日に大槌町で改めてお会いし、昼食とお茶にしながら自立の話やCIL、ILPの話などしました。その方は地域で生活をしたいと強く願っているようですが、それをどうすれば実現できるのかが分かっていないようでした。私たちもできる限りは伝えてきましたが、今後地域生活に向けてさらにサポートが必要と感じました。 A8月2日に田野畑町にあるハックの家に来ている脳性マヒの女性に会いに行きました。前回茂上・中来田がお会いしていてその時には携帯の使い方を教えて欲しいとのことで聞いていましたが、使い方をお客様センターに電話して自分で調べて使っていました。 その他にもお金を自由に使いたいことや、外出はハックの家しかしていないので他に行く場所を見つけたいなど今後の自分の生活について考えていました。今後も同じ障害を持った人と話すことで世界も広がるのではと感じました。 B大船渡の仮設住宅に住んでいる胸椎損傷の男性にお会いしました。その方はいち早く仮設住宅にスロープを付けた方で家族4人住まれていました。震災当日の話から現在までの話をしながら市の対応への不満や生活のしにくさ(周りが砂利で移動しにくいことや、仮設が小さく車椅子で移動しにくく床ずれが出来た話など)をされていました。 C陸前高田の筋ジストロフィーの男性にお会いしてきました。その方は藤原と1度会っていて、藤原に会ったことがとても大きかったようでまた会いたいといってました。今後どういう生活をしていきたいか、将来どんな風になりたいかの話など沢山してくれました。今後はその方がどんな風に進んで行きたいか聞きながらサポートしていく必要があると感じました。 感想 私が西宮で社会資源を活用して当たり前に生活していることが、岩手では実現されていないと感じました。この地域はまだまだ社会資源が少ないですが、その前にその少ない社会資源を知らなかったりどう使っていいか分からない人たちが沢山居ると思いました。社会資源を伝えていくことも支援の一つと感じました。地域で生活することにつながるにはまだまだ時間がかかったりすると思いますが、今後施設等を回ったり地域で生活することに向けての支援をしていくことが私たちの役割であり、被災地の方々が地域で当たり前に生活できる道になるのではないかと思います。 | |
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平岡文華・藤田可奈子 |
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岩手プロジェクトチーム報告 8月6日(土)岩手到着 平田・楠ペアから引き継ぎ 7日(日)宮古被災状況田老町の仮設状況見学 8日(月)10日の納涼焼肉大会の打ち合わせ 9日(火)ハックの家のOさん訪問 10日(水)納涼焼肉大会 被災地センターいわてとCIL盛岡初の交流会 11日(木)ハックの家Oさんの買い物に同行 個人ILP(自立生活プログラム) 12日(金)CIL盛岡訪問 13日(土)帰宅 平岡・藤田の活動報告 @9日のOさん訪問と11日の買い物同行 Oさんと初対面しました。このときに話した内容は、平岡が事前にメインメンバーから引き継いでいた個人ILP(自立生活プログラム)で買い物に同行することを伝えました。彼女はハックの家と自宅程度の外出しかしたことがなく、自分で買い物をしたことがないそうです。彼女の希望は「自分で見て選び、好きなものを買いたい」という内容でした。そこで、買いたい物のリストをあげ、かばん・ファスナーにつけるキーホルダー・服(年齢相応の落ち着いた色)などいろいろ要望が出てきました。会話をしている最中彼女の表情がすごく笑顔でした。 2日後の11日当日は、まず第一希望のかばんを見るということでした。選ぶ基準は色、金額、どの程度のものが入るかなどを考え、何カ所かの店をまわりました。買ったのは、緑色の仕切りがある使いやすそうなかばんでした。そのあと、いろんな店をまわりましたが、買うことはなく「ファスナーにつけるキーホルダーが欲しい」と言ったので見に行きました。彼女の買い物中の様子は、わりと冷静で「今何時?」「かばん買ったけどお母さんに怒られないかな」など、気にしていました。初めてなのにいろいろ考えているな、と私は思いました。限られた時間でしたが、購入したいものが買えたのでよかったのではないかと思います。 A10日の納涼焼肉大会、被災地センターとCIL盛岡の交流会 参加者は40人ほどでした。この日のために急遽、畑くんが来ました。宮古市のAくん、田野畑町のOさん、山田町のSさんなど、私たちメインストリーム協会メンバーが関わった人たちがほぼ初めての外出というかんじで参加されました。被災地センターとCIL盛岡のスタッフの協力で用意された食事は焼肉、流しそうめん、おにぎり、飲物でした。司会はメイクも衣装もばっちりの自立の王様に扮した畑くんで、始まりの挨拶、乾杯の音頭と、にぎやかに始まりました。 宴会の途中で、気分が良くなったのか突然Sさんが「私歌いまーす!」と言いだし、アカペラで歌っていました。Sさんは歌い終えた後、周りの人にマイクをまわして「歌って歌ってー!」と楽しそうでした。スイカ割りなどもしてとても盛り上がりました。最後には、みんなで花火を楽しみました。 その日の夜は、平岡が中心となり、田野畑町のOさんと山田町のSさんは初めての外泊を体験しました。 今回の外泊を通して自分の意思を介助者に伝えること、一日を通して介助者にどういう風に自分の意思を伝えることを学んでもらえたらと思って、取り組みました。 入浴介助以外では介助者を使うことがなかったOさんですが、宿泊と買い物に付いた介助者に自分の意思をしっかり伝えることはできていていました。介助者を使いなれていないため、なんでも時間をかけやろうとしてしまうところがあるため、時間や体力を有効に使えるためにもうまく介助者を使うことも学んでいってもらえればいいかと思います。 積極性はあってやる気もあったので、これからいろいろ体験してもらうことで、自立ができそうな気がしました。 Bまとめ この活動をきっかけに、出会った人たちが自立へ少しずつでも進んでもらえれば嬉しく思います。私自身もこの活動は自分自身をまた一歩成長する良い経験となりました。一つ残念だったのが、障害当事者と話すだけでなく介助で関わる健常者の人たちとも自立についての話をしたり、当事者と健常者の関わりについてもう少し話ができたらと思いました。 障害者派遣プロジェクト第7組のレポートをお送りします。 メインストリームからの派遣は、いったんここで小休止となります。 8月30日に私と夢宙センターのH君とで岩手に行き、 今後のプロジェクトについて話し合うことになっています。 その結果を受けて、9月以降のプログラムを考えて、再開したいと思います。 佐藤 聡 メインストリーム協会 〒662-0844 兵庫県西宮市西福町9-3 TEL:0798-66-5122 FAX:0798-66-5133 HP:http://www.cilmsa.com/ | |
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夢宙センター 内村恵美・大崎悟・河野彩佳 |
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被災地当事者派遣 報告書 スケジュール 9月12日(月)岩手県に到着,被災地センターいわてにて定例会議参加 9月13日(火)CIL盛岡にて長期ILP講座打ち合せ 9月14日(水)事務所勤務(ILP準備,夕食準備,事務仕事の手伝いなど) 9月15日(木)県庁訪問 遠野支部の掃除 9月16日(金)ユースパワーネットで沿岸部同行訪問,会議 9月17日(土)ユースパワーネット会議 9月18日(日)Oさんと外出 CIL盛岡長期ILP講座 9月19日(月)陸前高田へ同行、平下組に引き継ぎ たこ焼きパーティー 活動報告 @県庁訪問 以前から被災地センターいわてに、大船渡市に住むSさんから、バリアフリー仮設住宅が外見はバリアフリーではあるが室内は全くバリアフリーでなく、とても生活しづらいとの相談が入っていた。Sさんは自分で関係機関に問い合わせたが返事はなく、生活しづらい状況が続いているため、ストレスから体調を崩しがちになっているとのことだった。仮設住宅の住宅改修費は国が負担することになっているが、そのことが市町村に周知されていないので、県から市町村に働きかけてもらうため、被災地センターいわてのスタッフと共にユースパワーネット会議に参加するいわき自立生活センターの小野君も合流し、県庁を訪問した。 県庁では、担当者が不在だったため代理の人と話をした。Sさんの状況を伝え、バリアフリー仮設住宅のバリアフリーの基準は何なのか、住宅改修費について質問した。1点目については担当者が不在のため答えられないとのことで、後日センター岩手に回答をもらうことになった。2点目については、バリアフリー仮設住宅の住宅改修費は、国が全面負担することになっており上限については担当者でないと分からないとのことで、1点目同様、後日回答をもらうことになった。 また、Sさんは今後車椅子での生活も考えており、体調を崩していること、今後症状が進行していくことも含め、改修していくにあたっては柔軟に対応していく必要があること、緊急性があることではあったが、仮設住宅を建てる際には当事者の声を聞き、障害者団体と連携をとりながら進めていく必要があることを伝えた。 Aユースパワーネットで沿岸部へ同行訪問 ユースパワーネット(ユース)とは、自立生活センターの若手スタッフが集まり活動していて、被災地障害者センターいわて代表の今川さんもメンバーであり、ユースでも岩手を応援していこうと今回岩手で会議を行うことになった。 メンバーで2組に分かれて沿岸部に住んでいる当事者を訪問した。私達は、田野畑村にあるハックの家と宮古市に住むAくん宅を訪問した。 まず、ハックの家では、今までメインストリームの人たちが関わってきていたOさんと話をした。初対面の私達に、家族の事や自分の生活状況、今川さんとの出会いなど色々なことを明るく話してくれた。その中でも、パソコンをしたいけどできないことや、自分で好きな音楽を聴きたいこと、買い物に行きたいことなど自分のやりたいことをたくさん話してくれた。本人は色々なことに興味をもっており、やりたいこともたくさんあるが、社会資源が少なく実現できないのが現状であり、それがすごく悔しかった。日曜日のILP講座の前に内村と買い物に行くことになりその約束をした。 また、メインストリームの人達が来たこと、一緒に買い物に行けたこと、焼肉パーティやその後のお泊りがとても楽しく嬉しかったようだが、皆が帰って行ってしまうのが寂しい様子で、内村にも「恵美ちゃんも帰っちゃうの?」と言っていた。1週間ごとに人が変わって色々な人が会いに行くことは、本人にとっていい刺激にもなっているが、その反面、寂しい思いをさせている関わりになっているとも感じた。そのため、これから関わっていく際には、関わり方を考えていかなければいけないのではと思った。 次に、宮古市に住むAくん宅に行き、Aくん、母親、お姉さんに会った。何か出来ることがあればと思い、震災時の話や震災前の話などを聞かせてもらった。 Aくんが住む地域はOさん同様、社会資源が非常に少なく、障害者がいることを隠そうとする家庭も多い。Aくんの家族は、将来Aくんが自立できるようにと考えているが、そのための社会資源がない。本人は、人と接することが好きでセンターいわての男性スタッフが訪問することをすごく楽しみにされているそうだ。これからセンターいわてでのイベントに誘うなどして繋がりを保っていき、自立につなげていければと思う。また、本人を中心にコミュニケーションをとりたかったが、表情や言葉から本人の伝えたいことを読み取るのが難しく、母親やお姉さんとの会話が中心となってしまったので、本人とコミュニケーションをとれる方法を考える必要があると思った。 Aくん宅にはこれまでも何人ものボランティアが訪問しており、その度に同じ話をしているようだった。これは、Aくんだけでなく他の人を訪問する時も言えることだが、ただ話を聞きに行くだけではなく、行く側からも何か具体的な目的や活動を提示する必要があると思った。 その後、ユースで会議を行った。岩手県で生活をする障害当事者たちが出会い、繋がりを持てるような企画を定期的に行い、障害者エンパワーメントを応援していくことになった。 BOさんとの買い物 Oさんと盛岡駅前のショッピングモールで待ち合わせて一緒に買い物をした。欲しいものが3つ(洋服、食事セット、携帯ケース)あったが、時間が限られていたので内村のアドバイスでOさんが一番欲しいものから順に見ていくことになった。まずは、洋服が欲しいということで、近くの洋服屋さんに移動した。ズボンやTシャツを色々見て、鏡の前で合わせてみたり試着したりと楽しそうに悩みながら選んでいた。今までは、母親が選んできた地味な色の服を着ることが多かったようで、本人自身それが自分に一番似合うと思っていて最初は地味な色なものがいいと言っていたが、皆と一緒に色々探して鏡で見てみたりしていくうちに明るい色の服も自分に似合うということに気づき、最終的には明るい色の服を気にいっていた。 お昼ご飯は本人に決めてもらったハンバーガーだったのだが、ハンバーガーを食べることも自分で洋服を選ぶことも10年ぶりだと言っていた。彼女が今まで沢山の経験を奪われてきたことを痛感したと同時に、この現状を変えていかなければならないと思った。 その後、いったんILP講座に行き終わってからもう少し買い物したいということで、ショッピングモールに戻り、食事セットと携帯ケースみてまわった。Oさんと過した一日はとても楽しかったのと同時に、色々なことを考えさせられる一日でもあった。 CCIL盛岡 長期ILP講座「介助者との関係」 リーダーを含め7名での参加。リーダー以外の参加者は自立しておらず、施設生活・親元での生活の方ばかりだった。 施設職員や親に気を遣いながら生活している現状が見えた。 もしCILの介助者に入ってもらうとしたら何をしたい?という質問に参加者は「自分が出かけたい時に出かけたい!」とみんなが言った。ここででも、制度利用のしにくさ、社会資源の少なさを感じた。 内村が自分史を含めた自立生活での介助者の利用の仕方や関係性作りで大切に思う事を話した。 みんなからの感想では、自分で普通と思っていたことが心に負担がかかっていることがわかった、自立生活への希望が持てたなど話していた。 11月に長期ILP講座を終えた後、参加者たちが一歩自立へ進んでいることを期待したい。 D陸前高田へ同行 センターいわてで支援している陸前高田の仮設に住んでいる視覚障害者の方との打ち合わせに同行した。学校に隣接されたプレハブの仮設に到着してまずバリアフルな状況にビックリした。ここには車椅子の障害者や高齢者は住めないと思った。聞けばバリアフリーと見えても部屋の中はバリアだらけの仮設だとか、バリアがあるから仮設は諦めアパートに住んだりしている障害者や高齢者の方が多いと聞いた。当然、視覚障害者の部屋も入り口に大きな階段が3段もあり玄関にも段差が。 打ち合わせを簡単に済ませ次回のための確認作業の為に視覚障害の方と奥さんに車で道案内していただいた。その時に陸前高田の被災した現状を目の当たりにした。沿岸部の住まいや野球場だった場所は地震で海の下になっていたり一面何にもない土地がずーっと続き、とても人が以前住んでいたとは思えなかった。地震と津波で風景は一瞬に変わってしまい、まだまだ復興には時間がかかるのか・・・元には戻らないような・・・そんな感じがして怖くなった。 だが、車を少し走らせたら段々と人の姿が見え、仮設のコンビニやスーパー等が建っていて、この近くの高台の場所に仮設も建ってきているらしい。「再生」は始まり、東北は震災以前より素敵な所に生まれ変わろうとしている。それを肌で感じれて良かった。 Eたこ焼きパーティー 19日の夕方に夢宙からの支援2組目の平下(兄)組も来たので、定例会議後に被災地障害者センターいわて、CIL盛岡、夢宙の交流会をした。 朝早くから夜遅くまで活動し、いつも仕事モードのセンターーいわてのスタッフ達が無邪気に笑って沢山食べてくれている姿を見てホッとした。 始めは夢宙メンバーがたこ焼きを焼いていたが、次第にみんなで焼き始め、たこ焼きをコロコロ転がしながら、岩手の状況や各センターの日々の活動、個々の趣味や恋愛について色々なことをたくさん話して盛り上がった。 最後に、一週間を通して感じたことは、震災前から障害者を隠そうとする家庭が多く閉鎖的地域があり社会資源が本当に少ないこと、外に出たいと思っている障害者がたくさんいることを強く感じた。 今!障害当事者が声を出さないといけない、じゃないと震災後、復興していっても以前と変わらない状況になってしまうと思った。 今!障害当事者の力を発揮するときだと強く思う!! | |
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夢宙センター 平下泰幸・中村孝司・溝口広知 |
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被災地当事者派遣 報告書 スケジュール 9月19日(月)岩手県に到着,被災地センターいわてにて定例会議参加 たこ焼きパーティー 9月20日(火)CILもりおかにて長期ILP講座打ち合せ 9月21日(水)沿岸部大船渡市同行 バリアフリー仮設住宅聞き取り調査 県庁訪問 9月22日(木)沿岸部陸前高田市同行 視覚障害者協会送迎打合せ 9月23日(金)沿岸部陸前高田市同行 下肢障害者被災現場→入浴サービス施設見学 9月24日(土)沿岸部宮古市同行(外出支援等) 朝日厚生文化事業団担当者同行取材 9月25日(日)CILもりおか長期ILP講座 9月26日(月)事務所勤務 遠野支部のかたづけ 社協に物資引き取り 活動報告 @沿岸部 女性障害者宅訪問→バリアフリー仮設住宅の聞き取り調査 女性障害者宅訪問した時に居間の扉も幅が狭く車椅子が通ることも難しく、居間まで車椅子のままでは行けなかった。日頃車椅子の乗ったままの生活をしている私ですが、車椅子から畳におり、長時間畳の上に座っていると足が痛くなりました。そういった障害状況の方もおられると思うし、被災された障害者はとても住みにくい生活をしていることを実感した。 バリアフリー仮設住宅とは呼ばれているものの、お風呂やトイレに段差があり、使用するには困難な状況である。聞きとりでは、住宅の改修の要望がすべて未定との県庁の答えがあったと言われ、バリアフリー仮設での生活が困難であることを訴えられていた。そのうち、障害者になってからの自分の状況であったり、障害者観であったりとたくさんのお話をしていただき、私が思う障害者観のお話などをした。 その後、近隣のバリアフリー仮設住宅に居住者の方に聞き取りを行った。 各世帯、障害の状況や家族の状況に違いはあるが、一様にトイレやお風呂が使用しにくいとの声があがった。お風呂では浴室に入るまでに30センチほどの段差があり、浴槽も高さがあるため、お湯に浸かることが困難である。 夏の間はシャワーだけで過ごしていたが、冬になればお湯に浸からないと寒いために、不安を感じてる方や、近くの兄弟の家にお風呂を借りるしかないと考えられている方もおられた。トイレに関しても段差があることや狭いために使用しにくいそうだ。 A県庁訪問 県庁の職員はバリアフリー仮設の内容に全く把握されておらず、こちらが用意した仮設の写真で初めてどういう状況かわかった様子。仮設が県か市か、どちらの管轄なのかも把握されておらず、確認するとのこと。27日に県庁内の担当者会議が行われるようで、これまでにセンターが伝えてきたケースと今回のケースも含め話し合われる予定。住宅建築課や障害福祉課等、各課でどのような支援ができるか決めるそうです。仮設の使い勝手の悪さに生活の最低限必要なトイレ、お風呂に関しては使いやすいように『もっと障害当事者の声を聞いてください』など改善要望を求めてきた。 B沿岸部 男性下肢障害者訪問→被災後の現地訪問 陸前高田の男性下肢障害者の仮設住宅へ訪問。住宅はバリアフリーではなかった為、近くの川の駅で奥さんと一緒に被災状況のお話をして頂いた。昔からご近所つきあいを大切にし、被災時もご近所の方に救出してもらったなどの話を聞き、コミュニティは大切だなと思った。その後、実際に被災にあった陸前高田に移動をして被災現地の場所まで行き、当時の生々しいお話を聞くことができた。また、今の仮設住宅では入浴が困難な為、毎日、利用されている身体障害者・高齢者のための入浴サービスが行われている所も案内して頂き見学をした。 C沿岸部 Aくんとお母さんと外出支援同行 今までメインストリームの人たちが関わってきていた宮古市に住んでいる重心の男性Aくん宅に朝日新聞厚生文化事業団担当者さんとメイン佐藤さんと一緒に訪問しました。水分補給(スブーンで口に運ぶ)等の介助をしたりした後、外出支援でご本人さん、お母さんで宮古の市街地で一緒に昼食を食べました。お母さんもすごく明るくいい人で、ヘルパーさんとの関わりで高齢者支援的なヘルパーさんが多いことの悩みや、また夢宙の介助スタッフが介助者側からの自立生活の話等をしたりして、色々話しをしました。その後、宮古の観光地(浄土ケ浜)に出かけ、岩手の障害当事者、ご家族と同じ空気を吸い、同じ景色を見て、ご本人に話しかけると笑顔を返してくれたりして楽しく交流できて、岩手の障害当事者の気持ちが少し理解できた。以上のようなボランティア支援をいわきの専従スタッフは5ヶ月も続け、Aくんとの信頼関係を築いていた。 また、岩手に障害当事者が行って話をするだけではなく、実際に関西の障害者がどのような自立生活をしているか等を知りたいとうことで、近日、関西のほうに来られることの約束をした。 DCILもりおか 長期ILP講座「掃除・洗濯」 リーダーを含め4名での参加。リーダー以外の参加者は自立しておらず、施設生活の方でした。介助者と共に掃除・洗濯の仕方のビデオ鑑賞、テキストによる掃除・洗濯の仕方のプログラムの進行で進み、平下の介助者なしでの掃除・洗濯での体験談、自立生活後の介助者と一緒に掃除・洗濯の体験談や自立生活で大切にしていることなどの話をする。 また夢宙センターが作成した「重度障害者のエンジョイ自立生活の一日」のDVDを鑑賞した。みんなからの感想では、夢宙DVDはとても楽しくわかりやすかった。また何でも自分で頑張らなければと思っていたが、介助者にしてほしいことを自分で選び、自分で決め、決めたことの責任を自分で持ち、自立生活を楽しむこと等、自立生活への希望が持てたなどを話していた。長期ILP講座を終えた後、参加者たちが一歩自立へ進んでいることを期待したい。 E被災地障がい者センターいわてのスタッフ達の交流 朝早くから夜遅くまで活動し、いつも仕事モードのセンターいわてのスタッフ達と活動後の飲みニケーションを盛んに行い、笑いあり、真剣モード話あり等の交流をたくさんして、センターいわてのスタッフ達との関係性を深め、センターいわてのスタッフ達を盛り上げてきた。時には、おそらく車椅子で行く人は少ないであろうバリアフルな居酒屋に行き、車椅子障害者も普通に居酒屋に行くことの存在もしめしてきた。 Fまとめ 最後に、一週間を通して感じたことは、私が外で出ているだけで、ジロジロ見られる人々の視線を感じ、障害者が珍しく、移動手段は車でなければ移動できない交通アクセスの問題を実感し、障害者が外に出にくい環境であることを痛感した。 また、ある話をお聞きした時、ある施設に入所している方の現状で、職員の人員不足が原因で、その介助内容として食べ物に直接、口を付けて食事をしている人が当たり前のようにいる場面の目のあたりにしたことなど、非常に驚いてしまう現状を教えてもらった。 まして震災で環境が悪化し、そのうえ震災前からも社会資源が少ないことを感じ、障害者としての困難さ、環境での困難さで、二重三重の困難があり、現地の障害当事者は、ほんまたいへんやなと思った。この状況を何とかして、変えていかなければと思った。 だからこそ、障害当事者自らが声をあげ行動し、一人でも多くの障害者が外に出れるように、交通アクセスを良くしていき、障害者観を変え、障害者が地域で堂々と主体的に生活できるように、どこの場所であろうが、障害当時者が元気になれる社会にする為に、私達障害当事者の仲間と一緒にがんばっていこう! がんばろう岩手 一緒にがんばろう岩手の障害当事者 | |
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夢宙センター 陶山雄一・登裕樹・小角元哉 |
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被災地当事者派遣 報告書 【スケジュール】 10月1日(土) 岩手県に到着 CILもりおかにて長期ILP講座(調理編)打ち合せ 被災地障がい者センターいわてにて支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流 10月2日(日) CILもりおか長期ILP講座(調理編)リーダーとして参加 10月3日(月) 沿岸部大槌町同行 被災現場(視察)→被災者支援同行(仮設住宅)必要な物資・住環境の聞き取り支援等 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流 10月4日(火) 沿岸部宮古市同行 被災者支援(在宅)市役所送迎・外出支援等 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流 10月5日(水) 被災地障がい者センターいわて事務勤務 もりおか復興支援センター(物資調達)盛岡市民福祉バンク(物資供給支援)同行 CILもりおか訪問(意見交換・長期ILP講座反省会) 支援物資の整理仕訳 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流 10月6日(木) 大船渡市同行 バリアフリー仮設住宅実態聞き取り調査 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流(送迎会) 10月7日(金) 被災地障がい者センターいわて事務所勤務 仮設住宅のバリアフリー化について岩手県保健福祉部障がい保健福祉課訪問 【活動報告】 @CILもりおか長期自立生活プログラム講座 ILP終了後、参加者と自立生活についてなどの話を行いました。 まだまだ社会資源が乏しく、障害者に対する差別や偏見が大いにある地域では、自立生活センターとして、障害者リーダーとなりうる人材を発掘し、一人でも多くの仲間を増やし、仲間とともに自立支援を楽しみながらおこなうことが大切だと思った。 A大槌町仮設住宅の方への支援 物資援助の希望として、衣類、暖房器具の希望があった。 本人から、趣味の「アニメ・ゲーム・プラモデル作り」など、色々話せて楽しかったと言葉があった。 現状、生活することで精一杯という印象を受けたが、今後、生活に楽しみを持てるよう、趣味を行えるような環境(物資等)の整備のサポートや、本人が孤立してしまわないように、ボランティアを含め、他者とかかわる機会が必要であると感じた。 B大船渡市のバリアフリー仮設住宅実態聞き取り調査 本人からの訴えとし、防寒対策がされていない、握力がないため入り口の扉の開閉が困難、洗面所がない、給湯器のお湯がすぐ水になる、インターホンが付いていない、室内の電灯が一般の仮設住宅はリモコン式なのにヒモ式である等、仮設住宅が建てられた公園が閉鎖されておらず、プライバシーが保たれていない為、精神的に安心できる環境が整っていない等の話をうかがいました。 バリアフリー仮設住宅の被災者に対する物資の支援が滞っており、車椅子で物資をとりに行っても「邪魔だ」と言われるなど、心ない言葉を浴びせられるなどの話を聞いた。 ●被災地に行き感じたことは、元々、社会資源が乏しく交通アクセスが整備されていない町が復旧を遂げたとしても、障害をもつ人の生きづらさは変わらない、地域で自立生活が実現できるよう復興していってほしいと思った。 また、津波の被害に遭った大槌町沿岸部では廃墟と瓦礫が整備された空き地が広がり、その空き地の所々にオレンジの旗が立てられているのが見えた。それが何を意味するのか、何の印なのか気になり尋ねたところ、その場所から遺体が見つかったと聞かされる。津波が一瞬にして町をのみ込み、人の命、家庭や夢希望、全て奪いさったことにやるせなさを感じた。 少しずつ町は復旧してきているものの、今もまだ震災 ( 津波 ) の爪痕が残る場所に実際に行き被災された方と会い話を聞くと、町が復旧したとしても、人の心に残る傷跡が癒えるには時間がかかり、みんなの応援と人の痛みを思いやる温かい気持ちと支え合いが必要だと実感した被災地での活動だった。 | |
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夢宙センター 馬渡健二・菊池仁・椛田健吾 |
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被災地当事者派遣 報告書 【スケジュール】 10月11日(火) 13時30分 花巻空港到着。 リフトタクシーで、15時ごろ被災地センター到着。 19時に支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流 10月12日(水) 9時に被災地センターに到着し、午前中は被災地センターの事務を行いました。 13時にCILもりおか代表の川畑さんと合流し、16日に行うILPの打ち合わせと 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流 10月13日(木) 8時に被災地センターを出発し、陸前高田の被災地見学 13時からバリアフリー仮設に、入居となった入居者と県庁との、話し合いに同席 19時被災地センター到着 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流 10月14日(金) 7時30分、被災地センター出発 大船渡にある施設に訪問し、震災時の状況を職員と入所者に聞く 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流 10月15日(土) 7時被災地センターを出発し、10時宮古のAさんの家に到着して、宮古駅の方へ外出支援等 支援活動報告会議参加 スタッフ・ボランティアと交流 10月16日(日) 13時30分CILもりおか長期ILP講座(自立生活運動と歴史)リーダーとして参加 10月17日(月) 10時から県の障害福祉課とのバリアフリー仮設についての話し合いに同席 (活動報告) 今回、岩手県の被災地障害者派遣プロジェクトで被災地に行かしてもらい、実際に被災現場に行き実際に現場を見ると、自然の強さと人間の弱さを見せつけられ、改めて自然の驚異を思い知らされました。人間が何十年かかって作り上げてきたものを、一瞬にして地震と津波によって、建物や家族や夢や希望までも奪われてしまった人達の気持ちは、一言では言い表せない程の失意感だったと思うし、被災者ではない僕達が何が、できるのかまた、何をしたらいいのかを、もう一度個々に考えていかないといけないと、思いました。また、被災された障害当事者に、会って感じたことは、もともと、岩手県は福祉が大阪より、まだまだ進んでない上に、今回の震災に遭い社会資源もさらになくなり、バリアフリー仮設に入居となったが、バリアフリーとは名ばかりで、障害者のことを何も考えていない住宅になってしまっていた。住宅の入り口は手動車椅子で、ギリギリ入れるか、入れないか分からないぐらいの、幅しかないし、住宅の中の浴室の段差が30pあり、とても車椅子の使用者の事を考えて作られた物ではなく、しかも、岩手県の障害福祉課に尋ねると、岩手県としては、バリアフリー仮設住宅の建築基準は、まだ作られていないとゆう。建築基準がないとゆうことは、あまりにも対応が遅いし建築基準を作る時には、障害者のことは障害者にしか、分からないので是非、基準を作る会議に、障害者も参加する方向で考えて欲しい。 (感想) 最後に、今回の被災地派遣プロジェクトに参加して思うことは、被災された健常者も障害者も、心に受けた傷は消えないかもしれない。だけど、その心の傷を強さに変えて、街の復興も心の復興もゆっくりと、していってほしい。 また、こうゆう派遣プロジェクトがあったら、何ができるのか分からないけど、僕が行くことで一人でも、元気になってもらえる人が居るのなら、是非、参加したい。 | |
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NPO沖縄県自立生活センターイルカ |
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被災地当事者派遣 報告書 ■一日目 12月17日(土) 初日は、移動ばっかりで東京から、盛岡駅まで乗り継ぎが多くて、3時間かかりました。やっと被災地障がい者センターいわてに着いたのは、19:00頃になりました。 着いていきなり、忘年会に参加して岩手の色んな当事者と交流しました。 二次会は、養護学校の先生がスナックを経営してる所に、皆で行きました。そこのスナックには、看板に車イスマークがついていて、入口もスロープでした。スナックの中も広くて段差も無くて、とても良いスナックでした。 ■二日目 12月18日(日) 休みで自分は、熱を出してヘルパーに迷惑をかけました。 ■三日目 12月19日(月) 被災地当事者の現状を聞きました。仮設住宅の窓口受け入れ先がはっきり決まっていないので調整中の地域もあると言っていました。 私は、沖縄本島に居てずっと生活をしてきているが、いわての寒さを体感し、現地の当事者とも話す事ができ、まだまだ、たくさんの仲間が埋まっているという事実を聞くことが出来ました。同じ立場として他人事としては思えなかったです。 自分らは、被災地障がい者センターいわて(盛岡)に当事者ボランディアできていますが、被災地障がい者センターいわて(盛岡)よりたくさんの当事者がいる所が宮古なので、宮古の事務所に拠点を移したいといわての方も言っていました。 私たちがいわてに来る前に、「ILPプログラム」を若手でやったそうです。「ILPプログラム」に参加した30代の当事者が「僕も、一人暮らしをやりたい」と言う希望がありました。でも、一人じゃなくてグループホームでやりたいと希望がありました。自立生活センターの考えは、ヘルパーに自分のやりたい事の指示をうまく伝えて自立生活を成り立たせる事なので、これから、ILPを行いたいと担当者は、言っていました。 宮古から被災地障がい者センターいわて(盛岡)に来るのもお金もかかるので、まずは、宮古に被害地障がい者センター宮古を立ち上げたいとのこと。 何で、宮古に立ち上げたいかと言うと、いわてよりも宮古の方が作業所が多く当事者も多くいるためとのことでした。いわてではボランティアの人はいるが固定の介助者というものがいないため介助者の使い方がいまいち分からないという現実があり、実際に近くで見て聞いて学びたいとのことでした。 まずは、被災地の当事者にそのことを伝える方法として、月に一回の楽しいイベントを行っていきたいと言っていた。 また、反省があり、たくさん当事者ボランティアはせっかく遠くからきているので一日二日だけでなく流れを覚えてもらうために二週間ぐらいは居てほしいと被災地障がい者センターいわての人は言っていました。 来年の4月からも「当事者ボランディア」を続けて行えていけたらいいとの話が出ました。他県の当事者が来て、被災地の当事者と話し合いをするだけでも、かなり勇気づけられるのではないかなという、話し合いも出ました。 ■四日目 12月20日(火) 昨日の話にあった、宮古の事務所でパーティーをやりました。 そこに、夢中センターの代表平下さんも埼玉県のケアシステムわら細工センターの森住さんも来ていました。宮古(地元)の当事者家族が来ていて、食事や意見交換をしていました。「凄く楽しく過ごすことができました。」 また、新しく出来たばかりの事務所でどう活動していくかなどの話は、今からなのかなぁ?と思いました。事務所の周りは、人通りが多いので、まずは、事務所のアピールのチラシを配ったり季節ごとのイベントをやって気楽に誰でも通えるように、スタッフ・当事者で地元のみんなに口コミしていったら、宮古は良い場所になると自分は思っています。 ■五日目 12月21日(水) 被災地にひなんした方(佐々木るみさん)の自宅訪問に行き被災地の話を聞きました。つなみが自宅のすぐ近くまできたが、るみさんは、車イスで、父と兄との三人暮らしなので周りの手助けが必要であり周りの方に一生懸命「助けて下さい」と叫んでも周りの人達は、自分の事で頭がいっぱいで相手を助けると言う余裕がなかったと聞いて、自宅の周の人が知り合いとかだと団体になって、協力して逃げられたのではないかと自分は感じました。 避難所生活では、たまたま買ってあったお菓子がたくさん余っていたり、お水もお兄さんに家から沸かして持ってきてもらったりと、協力しながらみんなで食べ物を分け与えて過ごしたと、話していました。 もし、自分だったら動けないし固まっていると思います。他県の元気な当事者が訪問して、いわての当事者に勇気を与えたり貰ったりしていけば、お互いプラスになると思いました。 今日は、実際に当事者の自宅を訪問することが出来て良かったです。 ■六日目 12月22日(木) 朝の9:00に被災地障がい者センターいわて(盛岡)から、かまい市にある仮設住宅に住んでいる女性の方に、ストーブを届けに行きました。そこには、つなみで家が流された跡がいっぱいあり、テレビで見るよりも心にぐーっと感じました。 困っている人がいれば、3時間かかる場所でも足りない物を届けてあげたいと思う気持ちがあれば、活動する人々が増えると思いました。 今度は、吉浜荘 (大船渡)という施設に見学に行きました。 そこで出会った男性の名前は、木村さんと言う方でお喋りもとても上手くて、羨ましくなるぐらい話のレパートリーがいっぱいあり、凄く感心しました。明日は、どんな出会いがまっているのか楽しみです。 ■七日目 12月23日 (金) 陸前高田の仮設住宅に親子二人で暮らしている方の所へ訪問しました。 初めて仮設住宅の中に入りました。中は、結構バリアフリーでしたが、玄関に2段の段差があり車イスのままは入れなかったです。住んでいる方は、身体障がい者で前までは、大工屋の仕事もやっていたと話していました。 つなみで迷子になっていた所をを病院の先生が見つけて、最初は話もできなかったがリハビリでだんだんと回復したおかげで、今は普通に会話かできていますと話してくれました。 親子と一緒に、3時間かけてお世話になった先生に会いに、いわてリハビリセンター(森川)まで行きました 毎日、僕が行くところは見るのも聞くのも初めての場所ばっかりだから、当事者ボランディアで行ってるのに、逆に元気をもらってる感じがします。 ■八日目 12月24日 (土) 朝から、盛岡〜宮古までみんなで行きました。 宮古に住んでいる粟津たつのりさんという方の所へ訪問しました。全然話はできない方で、男性の方ですがとても良い笑顔で周りの人達を明るくするような方でした。その方のお母さんもとても、明るいお母さんで楽しかったです。 近くの川に白鳥を見に行きました。沖縄では、なかなか生の白鳥は見れらないので最初は、「エェ〜本当に見れるんですか?」と聞いたぐらいびっくりしました。 白鳥を見て、自分は動物は苦手でしたが、行ってちゃんと写メ〜も写しました。白鳥を見てから一緒に食事をしに行きました。宮古に事務所ができれば、もっとよくなる町ができるんじゃないかと思いました。 弟は何も喋れないですが、将来は一人暮らしや良いパートナーと出会えて結婚もしたい夢があるから、夢を願って皆さんの力で誰もが一回の人生を一生懸命生きたいから、地域から変えたら良いのかなぁと粟津さんのお姉さんがおっしゃっていました。 今日はいよいよ、宮古の事務所に一泊します。 明日は、一日休みです。 ■感想■ 当事者ボランディアに行くって聞いて、自分が当事者宅へ行ってから悩み事を聞いて解決したりすると思い、いわてに行く前に沖縄で「ピアかんとか、ILプログラム」などいろいろ準備をして行きました。 いわてに当事者ボランディアをやりに行くと、困っている当事者の所へ行き、車で荷物 (ヒーターなど救援物資)や当事者宅に行って話しをしたり一緒に病院に行ったり等の手伝いをしました。いわての方が僕らに、「助かりましたよ」と言われて自分らもいわてに来て良かったです。 もし次も行く機会があれば、どう言うことに困っているかを聞いて勇気をつけられるサポートをやりたいと僕らは思って、また同じメンバーで春も行きたいです。 本当に、いろんな事を学べた10日間でした。 | |
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