小山田圭吾氏の「障害者いじめ」問題から見る、
日本におけるインクルーシブ教育の課題に対する声明

2021年7月21日

小山田圭吾氏の「障害者いじめ」問題から見る、
日本におけるインクルーシブ教育の課題に対する声明

全国自立生活センター協議会
代表 平下 耕三

 私たちは、どんな重度な障害があっても地域で当たり前に生活し、障害者権利条約の完全実施に向けて障害のある人とない人が分け隔てられることなく、誰もが差別されず、共に生きられる社会(インクルーシブな社会)を目指して活動する障害当事者団体です。全国110か所を超える障害当事者団体(自立生活センター)で構成しています。
インクルーシブな社会を実現するために、教育分野からでは、障害者権利条約第24条「教育」および一般的意見4号(インクルーシブ教育を受ける権利に関する一般的意見)に書かれているインクルーシブ教育の実現を目指し全国で活動しています。

東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作へ参加する予定だったミュージシャンの小山田圭吾氏による「障害者いじめ」発言や一連の報道について、全国自立生活センター協議会(以下「本会」という。)として次のとおり、声明を発表いたします。
小山田氏は私立の小中高一貫校に在学していた際、障害のあるクラスメイトおよび近隣の特別支援学校(養護学校)に通っていた障害のある人たちに対して、「いじめ」という言葉では済まされないような残虐な行為や心ない発言をしており、そのことを複数の音楽雑誌のインタビューにて自慢するかのように語っていた、と報道されています。一連の報道や世間からの批判を受け、7月19日付で楽曲制作担当を辞任すると申し出ており謝罪もしています。

今回の事案について、本会としてはインクルーシブ教育の視点から、以下の3点について問題提起いたします。

1.多様な子どもがいることを学べる機会となるはずのインクルーシブ教育が、ダンピングとなってしまっている社会的環境要因を見直すべき
小山田氏のインタビュー記事より、自身が在籍していた学校は、障害のある子どもと障害のない子どもが共に学ぶ方針をもっている学校であったことが伺えます。
日本は、2014年に障害者権利条約を批准し、障害児者に関する様々な法制度が整備され、インクルーシブ教育の実現を目指しています。「インクルーシブ教育」「共生教育」を教育方針として掲げる学校も増えてきました。しかし、合理的配慮(「障害の社会モデル」の視点から一人ひとりの困難さに向き合い、その人に必要なサポートを保障すること)が提供されずに、ただ「同じ場所で共に過ごす」ことに重きを置かれ、何もサポートがないままに教室で過ごしているという状況の学校は、過去には「投げ捨て」(ダンピング)という言葉で批判されています。小山田氏が通っていた学校でダンピングが行なわれていたかどうかはわかりませんが、そのような状況の学校は今でも多く見られます。
学校のバリアフリー化が進んでいない、教員の多忙化、障害の社会モデルの考え方が浸透していないなど様々な要因が考えられます。担任だけで問題を抱え込むのではなく、社会全体としてインクルーシブ教育の実現に向けた取り組みを行なうことが求められます。障害のある子どもを含む多様な子どもたちが、ただ一緒に過ごすだけでなく、一人ひとりに応じた必要なサポートを受けながら、クラスの一員として様々な学びや経験を保障されるインクルーシブ教育の重要性を改めて表します。

2.分けてきたからこそ起こりやすくなる同様の事件が、さらに「分離」に加担することのないように、事件の根源を見直すべき
インクルーシブ教育は、障害のある人とない人が分け隔てられることなく、誰もが差別されず、共に生きられる社会をつくっていくことにつながると考えられています。「障害」という言葉を知らない小さい子どものうちから、多様な人たちと出会い共に過ごすことで、様々なことを子どもたちは学び取り人権感覚が養われていきます。
今回の件が発端となり、「障害のある子どもがいじめの対象になってしまうかもしれないから分けたほうがいい」というように、社会全体で障害のある子どもと障害のない子どもを分けて教育をする「分離教育」に逆行してしまうのではないかと私たちは危惧しています。障害があるかないかで分けてきた教育が、「障害者はいないほうがいい」「生産性がない」という優生思想を生み、排除を加速させてしまうのではないかと考えます。インクルーシブな社会はインクルーシブな教育からつくられるのです。

3.私たち一人ひとりが差別に向き合い、なぜ差別が起こってしまうのか考え続けることが必要
上記にも書きましたが、「いじめの原因は障害があるからだ」という考え方は問題の本質から目を逸らしていることに過ぎません。
今回は小山田氏の過去のインタビュー記事から、障害のある人への差別について大きなバッシングが起きましたが、小山田氏のように障害のある人への差別や偏見を抱く人は未だに少なくないでしょう。小山田氏個人を非難するのではなく、障害のある人への差別が起きてしまう社会の構造を変えていくことを、私たちは求めています。なぜいじめが起きるのか、差別とは何か、障害とは何か、私たち一人ひとりが向き合い、内なる優生思想と闘い続けることが必要です。社会の一員である私たち一人ひとりが、他人事ではなく自分事として受け止め考え続けることが求められます。

(以上)

小山田圭吾氏の「障害者いじめ」問題から見る、
日本におけるインクルーシブ教育の課題に対する声明

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