シンポジウム: 「地域生活を守るために」 〜どうなる!?介護保険と支援費制度〜 |
国及び地方公共団体の財源問題は、皆さんご存知のことと思いますが、国の年間予算は80兆円、そのうち税金で賄える金額は、その半分40兆円しかない。ということは、残りの半分は、将来の世代の借金国債ということで、つなわたりの運営をしていかなくてはならない。そういう状況で、ひとえにバブルの遺産と、日本の社会が高度経済成長型の構造を維持し、企業はリストラなど大変な苦労をしながらサイズダウンをして対応してきたわけです。国なり地方公共団体ではそのようななかなかそのようなドラスティックな改革はできない。
一方で志木市では、今500人くらいいる地方務員を最終的には50人くらいでという議論が一方であるにも関わらず、国の姿、仕組みと言うのものを大きく転換せざるを得ない。その中で従来型の国庫補助金を地方に配分して、さまざまな施策をどういうふうに変えていくかという方向付けの中で中央政府が全てをコントロールして、都道府県、市町村に仕事をしてもらう仕組みがある意味で言えば、明治以来の中央集権的な国の仕組みなわけですが、それが確実に破綻をして新しい仕組みを求めなくてはならない、そういう状況になってきている。
しかしながら一方で、ご承知のように、高齢化社会が進み、そして障害の問題も含みながら、これは再分配問題といっていいと思うのですが、再分配のしくみをうまく再構築しながらそれぞれの人の基本的人権とか、尊厳といった形で地域生活を進めていくために、なおさまざまな形で配分の仕組みというものをきちんと維持しながら再構築していく必要がある。
他方でグローバライゼーションの中で、市場主義的な考え方それはそういうものによってしか生きていけないという議論ですが、その中で再分配構造にたいして、さまざまな再構築の動きがある。かなり事態は輻輳しているわけですが、はっきりしているのは日本は2007年に総人口が縮小してくるということです。そしてこれは私がたまたま加わりました高齢者介護研究会で団塊の世代が65歳になるときにどういう高齢者ケアのしくみを考えたらいいかという議論をしました。その中で2015年、26パーセントを越える高齢化というようなことになると改めて、人々が尊厳ある生活をするためにはどのような社会的な仕組みでなければならないか、ということが議論になっています。
やや迂遠な話をしてしまいましたが、問題はそういう見取り図の中で、個々の高齢者・障害者のケアの仕組みを従来型の福祉、国や政府やあるいは援助過程でいえばサービスの提供者が一方的にサービスの内容を決めて、サービスを利用させる、という仕組みから対等な関係で、これは支援費の時に社会福祉基礎構造改革で言われたことで介護保険でもそうですが、サービス利用者の自己決定を尊重した仕組みに移行する。そして、平たく言えば、自分の居場所を自分で決める、そして自分の生活様式、生活のあり方は自分で決めるというあり方がそのようなさまざまな制約の中で、どのように実現しうるのかということをめぐって争点、という形で支援費の問題や介護保険の問題の中で争点が明らかにされつつある。
日本の障害者の問題というのは長い間、3障害という風に今は言われるようになりましたが、当初はやはり身体障害者福祉から始まったわけですから、一つ一つを基本的には障害者手帳に象徴されるように、障害者として、障害者政策の対象としてカテゴリとしてとらえて人々に福祉の措置という形で庇護を与えるという仕組みが組み立てられてきたわけですが、それを知的障害児・者、精神障害者も精神障害者福祉、精神保健福祉というような形で生活の支援サービスの拡大をしていくという流れがでてきたわけです。
福祉の学者で三浦文夫先生という方がいらっしゃいますが、その方が要援護者として対象を捕まえて保護する福祉の仕組み、要援護・要育成の児童といった対象としてとらえるのではなく、人々が抱えている問題、支援を必要とする問題に着目した援助の仕組みということを言っています。これは一つ一つの人々が持っている支援の必要性に即した援助のあり方を考えるということです。障害者福祉で典型的なのは、さまざまな重複障害、それから難病の患者さんも生活支援の必要があるにもかかわらず、従来障害者福祉行政では落としてきたということがあります。そういうものをやはり、ニード中心にどういう風に組み替えていくかという課題があって、それにたいして、いわゆるせめぎあいが起こっているのが現実なのだろうと思います。
それで支援費制度というのは具体的にいえば100億円足りなくなりました。100億円足りなくなったということは、支援費制度というのは一方で、旧来の措置制度の財政構造や負担構造を残しているということです。他方で、支援の決定を契約制度に置き換える中で、結論的に言えば、ニード爆発が発生しまして、その問題が深刻化したという意味で、古い措置制度の側面と新しい利用者本位の側面がきちんと精査されずに残っている。国の補助金の体制というのは予算主義で、あらかじめ政府が見込みをたてて、積算をしてという意味で言えば、現場のニーズの裏づけがないまま、結果的に積算された従来の実績をどのようにのばしていくかという形で積み上げられてきた制度ですから、急激なニーズ拡大にたいして、機動的に対応することのできない財政構造をもった制度である。そういうことがまさにニーズ爆発を起こしたときに100億円の不足という形で問題が発生して、それをどのような形でコントロールするかという課題、これが1昨年の12月の問題であったと理解しています。
そういったことを含めまして、公費、税金に基づいて、従来型の方法で財源を調達するという構造に、明らかに限界が発生しています。これをどういう形で財政調達の枠組みの中に転換していくかという課題がある。これが私の申し上げたい第一の点です。それから、もうひとつは、ここで日本の社会サービスという表現をしましたが、日本では福祉制度があらゆるものを引き受けざるを得なくなっています。たとえば住宅の問題があります。これは日本の施設優位という問題と拘わりますが、日本では住宅行政というのが普遍的な形、さまざまな人々のすべての生活の居場所を確保するという風に構築されてきませんでした。これは日々みなさんがお感じになっていることでありますが、在宅で生活を送るに足る住宅を支えるだけの公的保障、端的に言いますと公的住宅手当というものが日本では未成熟です。これはヨーロッパ諸国では社会保障の重要な柱であるにもかかわらず、日本では未成熟です。
そういうことが全部福祉の中で担われざるを得なかったということがあります。それが、劣悪な環境としての雑居型の施設を生き延びさせてきたという構造があります。そこに支援がワンセットで行われています。あるいは、精神障害の問題でいえば、7万2千人問題といわれていますが、精神病院がすべての生活を管理するという構造で、地域生活、居場所というものをきちんと用意していく、これには当然支援つきのサポートを地域で展開することが大変未成熟であったために、これが類例のない形で日本で、精神障害者が33万人の入院という形で放置されつづけてきた。そういうような問題があります。そしてそれを裏打ちする所得保障の仕組みはわが国では基礎年金、障害基礎年金と生活保護、そして地方自治体の手当てという形、これも整合性がとれぬまま、不安定なままにもちこされたということがあります。
中西さんから、もう少し現状認識の議論をしようということを言われていますが、そういう全体として、障害者をめぐるサービス体系がやはり総合的な体系立ての議論が行われないまま、個別の議論で終始するような構造があります。これが、端無くも支援費の問題で、噴出してきたという風に考えています。
そして少し具体論でいえば、誰がどうみてもそうなのですが、日本の公的な障害者政策は障害者サービスのニーズに対して、非常に不十分な形でしかありませんでした。それに先ほどの7万2千人のことをとってみても障害者サービスに投入されるべき財源資源等は従来のスケールを超えた格段な形で拡大をしなければならない。高齢者ケアの介護保険の時もそういう議論があったわけです。日本では残念ながら消費税等の財源確保について、税金で財源確保する道はきわめて困難です。政治的な過程で配分が決まる中で、福祉予算に税源が自動的に投入されるような仕組みには残念ながらなっていないわけです。
高齢者介護保険というのは高齢者ケアということについて特定財源確保という仕組みとして高齢者ケアの財源をきちんと確保するという仕組みとして構想された制度であるわけです。そして社会保険という仕組みを擬製しながら半分の公費を投入するという仕組みをつくることによって、予算主義からそれぞれのサービスを具体的に利用したという実績に即して財源を調達するという決算主義の仕組みに移行するものです。
そしてのその結果が2000年4月の約4兆円の総費用から、現在6兆円、つまり2兆円の費用拡大をうみだしたということです。要するにニーズの増大にサービス供給を増大させる仕組みをビルトインする、内蔵する仕組みをつくることによって高齢者ニーズの拡大にそれなりに対応する仕組みを作り上げてきたということがあります。
これにはさまざまな議論があります。少なくとも居宅サービスの利用者は2倍になりました。施設サービスは約7割増ですが、在宅でサービスを利用する高齢者は2倍になりました。それからグループホーム、これは痴呆性高齢者対応のグループホームで、障害者のものとは違いますが、そういうものが大変な増加をし、そして訪問介護やさまざまなサービスが、さまざまな評価はあるにせよ、拡大してきました。だからといって財政に齟齬におきたわけではありません。むしろ象徴的なのは、第一号被保険者の保険料の増大ですが、逆に財政審議会が言うように、1割負担を3割負担にすべきということは、非常に間接的なコントロールでしか介入できないという仕組みとして、ニーズの拡大に対してフレキシブルに対応する制度ができてきたということです。
これについてはいろいろな評価があることと思います。五年後の見直しという作業に今入り始めていまして、最近ようやく介護保険の見直しの方向性というものがいくつか提起されてきています。その中で介護保険と障害者サービスの議論で参照すべき論点がいくつかではじめていると考えています。そのひとつは高齢者介護について、現行のサービス体系を、人々が生活しているサービスの利用圏域に即して利用が地域密着型サービス、つまり地域の中で整備すべきサービスというものを具体的に考えるということです。そして、現在の介護保険というのは主として医療系とか施設系については必ずしも市町村の権限の及ばない構造でサービス提供が行われているのですが、これを具体的な地域密着型のサービスとして、地域生活を支える、支援するサービスを中心に地域で責任を持つ体制に介護保険のサービス体系も組み替えていこうという動きがあります。
そして、これらのサービスについては当該市町村で介護保険の中に整備する。介護保険の場合は、必要なサービスというのは保険者が地域サービスをきちんと把握しながら積み上げていってサービス事業量を積算して、その18パーセントを第一号被保険者で補いますが、それ以外についてはその積算に基づいて結果的に国が25パーセント、都道府県が12パーセント第二号被保険者は33パーセント、当該自治体は12.5パーセントを負担するという、そういう意味ではニーズを積み上げた上で、結果的に財源を調達する、これは決算主義という言い方をしますが、そういう形にします。
ですから財政当局がコントロールするのは一つ一つのサービスの総量ではないのです。ホームヘルパーの820億円が多いとか少ないとか、単価が低すぎるとか高すぎるということが今の予算過程ではコントロールされていますが、それが、非常に間接的になりまして、ですから財政審議会の言い方になっていくわけです。そういうことを含めてニーズの拡大を地域のサービス量として積み上げて、それをサービス総量として組み立てていく、という積み上げ型の手法が介護保険の制度的な特徴ですが、そういうものを踏まえながらこれをいっそう地域化していくという動きがある。
それとの関係で、サービス体系における従来の在宅と施設という二分法をやめようという議論があります。訪問系のサービス、通所系のサービス、短期入所系のサービス、居住系のサービス、入居系のサービスという分類をしながらできるだけ地域シフト、生活圏域シフトしていくサービス体系を作っていくという形で第3期の介護保険事業計画を考えるべきだという議論をしております。
もうひとつは、在宅サービスの水準をどう考えるかという議論があります。これについて3月24日に事務局が出したメモの中で注目すべき記述がいくつかありまして、従来は在宅サービスを家族サービス補完型の水準としてしか考えてこなかったが、今後一人暮らし、単身独居という高齢者を中心とした支援のモデルを重視して、移行すべきであるという視点をだしました。これは大変重要で、従来は高齢者介護研究会のさまざまな批判の中でも、介護保険の在宅サービスというのは家族の存在、家族扶養前提としてそれを補完する家族介護負担軽減型のサービスの域をでなかったということです。それを要するに援助を必要とする高齢者、一人暮らし、老人世帯を中心モデルに考える。
もうひとつは、身体介護型のいわゆる寝たきり老人モデルから、痴呆性高齢者モデルに転換すべきであるという議論を高齢者介護研究会の議論以来でてきます。ここで痴呆性高齢者モデルを考えるということはどういうことかというと、寝たきり老人モデルは従来のスポット型の訪問介護、デイサービスを前提としてケアプランを立てていくというサービスですが、当然、痴呆性老人のケアということになると24時間365日ということを念頭において、どのようなサービスの支援をつくるかという視野が入り始めている。
それから、もうひとつは、痴呆性高齢者の処遇の問題で明らかになりはじめている、つとに指摘されていることではありますが、リロケーションショックというのがありまして、施設移行すると非常に重度化するというのは常識になりはじめています。とすれば、痴呆性高齢者をできるだけ、地域で在宅で支援するという仕組みを優先させて考える、そういうケアモデルを立てるべきだという指摘があり、いくつか議論が行われている。
当然のことながら、痴呆性高齢者のなかで、もっとも重度な、徘徊する、他動性の高齢者が実は25万人いまして、その中で、3分の2は在宅で生活しているというデータがあります。これは人を支えるための仕組みを地域でどうつくっていくか、そして当然のことながら権利擁護の仕組み、地域支援の仕組み、従来のケアマネジャーの身体介護中心とするケアモデルでは不十分だという論点があります。介護保険がある意味で言えば、従来の在宅家族補完型の介護保険から新しいタイプの介護保険に移行しようという政策的なさまざまな議論がある。
そのようなことを含めて、介護保険で地域化していくという議論、新しいケアモデル、家族補完型ではないケアの仕組みを構築するということの模索が介護保険改革の中のひとつの大きな枠の中にはいり、さらにそれを支える地域ケアシステムの構築、これは地域包括ケアという提言を高齢者介護研究会でしましたが、そういうものを含めてやる。それから介護保険給付では対応できないさまざまな生活支援ニーズがあるので、これについて対応する仕掛けを作らなければならない、という論点が介護保険の検討の中で浮かび上がりつつあります。これは実は障害者の地域生活検討会や社会保障審議会の障害者部会の検討が今それなりに進められています。
とりわけ社会保障審議会の障害者部会では6月の末から9月、おそらく、中間的なレポートが6月、7月に出てくると思うのですが、そこで議論していますのは、介護サービスとさまざまな住宅サービスを含めたサービスのあり方、教育や就労、社会参加というもののあり方、それからもちろん医療的ケア、そして所得保障が大変重要な議論として入ってきますが、そういうものを含めて障害者施策の再構築、全体の絵柄を書き直す必要がある。その中で支援費制度の財政的な破綻を踏まえて、どのような生活支援の制度がありうるか。
おそらくその延長線上には、私も主張していますが、障害者サービスを介護保険の制度を活用した、障害者支援・サービスのあり方を検討すべきであるという議論になっていくと思います。そしてそれは、すべての障害者サービスの支援を介護保険に集約するのではなく、それぞれのニーズの特性にあわせてそれぞれの施策との再構築をともないながらサービスを提供していくという議論があります。
そういうことからいいますと、介護保険というものをどういう風に活用していくかという論点になっていくと思います。その場合、おそらく後から立岩さんがいろいろな形で指摘されると思いますが、現行の介護保険と障害者が活用しうる介護保険をどういう風に考えるか、一方で、介護保険はアセスメントの仕組みがあります、それぞれの介護給付の内容に関する制度的な原理原則があります。そして範囲、給付上限があります。
それが障害者サービスについてどのような意味を持つか、あるいは制約になるか、中西さんはこの点について非常に制約になるということで、批判的なスタンスでこの問題に対応していますが、それは一方で、障害者サービスを統合する視点を考えることにより、それをどう考えるのかということが改めて争点として議論になる。
そして介護保険が、ある種の標準的、標準的というのもコメントがあるかと思いますがここではミニマムとして使用しますが、標準的な給付を保障するべきものであるとすれば、それが保障しきれない、しかし社会的に対応すべき特別なニーズが存在すれば、それをどのような仕組みで、社会的に支える仕組みを作っていく、これがいわゆる二段階論というものですが、そういう問題にもなっていきます。
そしてとりわけ、支援費の議論で言えば地域差の問題がありますし、従来サービスを利用している人々と、ニューカマー、これからサービスを利用するであろう人々のニーズの対応の仕組みをどうつくっていくか、そしてサービスの利用、とりわけ精神障害者の場合や障害児の場合、急激に拡大することをふまえた仕組みをどのように構想していくかということをめぐって障害者と介護保険の関係作りというものを議論していくべきだと考えています。
そして、介護保険はおそらくロングタームケア、長期的に支援をする必要がある人々を支える基幹的な制度として組み替えていくという方向付けが私は必要であると思っています。その場合にどのような条件をそなえるべきか、そしてそれを補完するさまざまな社会サービス、たとえば、住宅であり、街づくりであり、障害者雇用、教育等との整合性をきちんととりながら介護保険が障害者サービスに活用しうるものとしてはどのようなものであるのかという議論を急ピッチでつめなければならないと思っています。
個別の議論については後ほどいろいろなお話をいたしますが、結論的にいいますと、基幹的なサービスとして介護保険を活用する以外に、政策的な選択の余地はないという判断を、厚生労働省はとっていますし、たとえば三位一体改革の権限委譲、これは市町村や都道府県下へ障害者サービスはすべて移行すべきだという提案をしていますが、そういう中で支援費の介護保険の統合を見送った場合、どういうことが起こりうるか。それはおそらくセカンドベストという選択をする場合に、介護保険を活用した障害者サービスの構築という選択がセカンドベストの選択としてもっとも有効であると考えています。
具体的な議論は質問の中でしたいと思います。多少総論的な議論をしてしまいましたが、私の発表は終わらせていただきます。
■司会
ありがとうございました。現行の介護保険を障害者が利用しうるものにしていくためにさまざまな制約なり、現行の制度の保険システムをどう変えていくかも含めて高橋さんは、統合化しかない、というところでのご意見。・・・という風に一言でまとめてしまっていいかわからないのですが。議論は、ほかのパネラーの方からも質問を含めてだしていただきながら進めていきたいとおもいます。続きまして立岩さんの方からよろしくおねがいします。
■■■立岩 真也 氏(立命館大学大学院先端総合学術研究科助教授)
立岩です。お聞きしたいこととかいろいろあるのですが、それは後にまわして、とりあえず、ひとあたり、ごくごく・・・。僕は行政に近い所にいるわけではないので、具体的に何がどうなっているのかということはよくしりません。ですからそういう話は僕はできないので、そうではない話を4つくらい、全部で10分くらいでお話しようと思います。
資料はみなさんのお手元にあるもので、二つとも使いまわしです。ひとつ短いのは30ページから32ページにかけてある、DPI日本会議のわれら自身の声で頼まれて書いたもので、非常に限られた字数で書けといわれたので、舌足らずになっていますが、基本的には私はこういう風に思っていますよということが書いてありますのでご覧ください。それからもうひとつは、ちょっと学者むけ、というか・・・・文体も硬くなっています。この間の流れというのをまとめてみました。
たださっきも言いましたように、そんなに政策に近いところにいるわけではないので、政策の分析があたっているかどうかについて自信がありません。ただ、たとえば2000年の介護保険がはいったときに障害者運動というのはあの時、どういう対応したのかということも、中西さんみたいに長くやっている人はご存知でしょうが、若い人もここにはたくさんいるので、今までどういう感じで介護保険や介護サービスについて障害者運動は対応してきたのかというあたりの振り返りも含めて書いてありますので、ご参考になれば読んでいただきたいと思います。
ということで、それはそちらにまかせておいて、4つです。話はとてもある意味では単純なことです。つまり、必要な介助が使いやすいように得られればいい、これに尽きるといえば尽きるわけです。そのためにどういうシステムがいいのかという議論はあります。僕は、介助は介助ですから二つの制度がなければいけないとは思っていなくて、いい制度がひとつあればそれはそれですっきりしていいのではないかなと思っています。
それが保険なのか税なのか、というのは少し誤解を招く対比で、僕は介護なら介護について特定の財源でやるのか、一般の予算の中に介護が入るというのがいいのかという対比だと思うのですが、どっちがいいのか、というのがあります。介護保険というのはそういう意味では独立採算型でそっちのほうがいいという意見はあると思います。どういうのがいいのかな、というのは考えなければいけないテーマです。二つなくていいのなら、ひとつとしてはどういうひとつがいいのかな、ということは考えたほうがいい。それもここにいらっしゃるかたは、そんなに異論がないと思います。
次にいきます。あるべき制度として、ということと、今問題になっている介護保険の統合という話は少し違うわけです。現実にすでに介護保険というのはやっているわけで、それを見た場合にどうなのか、という話です。どうなのか、という話は、この資料集の資料編、後半の方で僕なんかよりよく話をわかっている人がきちんと書いてくれるのでそれを読んでいただければいいわけですが、端的にいって必要な量だけを使い勝手がよく制度では現在ないわけです。端的にいえば、在宅の訪問介助という形でそれを使うのであれば、仮に一番重い判定になったとしても、意外ときつい判定基準なので、ここにおられるかたはなかなかそこまでいかないのですが、仮にそうなったとして大体一日3時間くらいが関の山です。もしそれだけだったら到底どうしようもないわけです。ここまではみなさん一応わかってらっしゃる。
そうするとその次の話は、それはそれ、プラスアルファ別の制度をくっつければなんとかなるのではないかという話です。このなんとかなるのかならないのかということについては、ぼくはわからないということです。ただわからないというというかそれを今議論していると思うのですが、言えることは、そういう二つの制度を、ある意味では、僕が最初にいったひとつでいいのではないのという話よりはややこしい話ですよね。ややこしい話でもいいということがわかるまではそれでいいとはいえないということですよね。つまり介護保険にそのままのることは誰にもできない。じゃあ、別の制度とくっつければうまくいくという話もあるけれども、どういう風にうまくいくのかという具体的な像というものが明らかになるまでは、それはのめないという話にしかならないだろうということです。これが第一番目の話です。
二番目の話は、一番最初にいった話を繰り返すことになるのですが、基本的にどういうスタンスにたつのかということだろうと思います。これはいってみれば障害者の運動が現実に行政の窓口で獲得してきて、なんとなく、だんだんと実態として変わってきたということなのだけれども、ある意味でそれが表ざたになっているわけです。どういう形でいくのかということが、ある種公の議論になっている、ならざるを得ないという場所の中で、自分たちとしての自分たちの立場、視点というものをはっきり打ち出さざるを得ない、あるいは、時ここにいたっては、そういう言い方で言っていくしかないのかなと思います。
そのときに僕はひとつ、高齢者の介護というものと障害者の介護というものは違う、だから高齢者の介護の介護保険じゃだめで、という言い方はあまりとらないほうがいいのかなと思っています。理由はあとでたしますけれども。
なおかつ、社会参加といういいかたで、これこれこういう風に、あなたはこれがすぐには役には立っていないかもしれないけれども、たとえば今映画にいったりなんかするということがそのうちその人の人間形成にとって役に立つのだから、それにも介助をつけてよ、という言い方も、そういわないとおじさんたちがわかってくれないからいわなきゃね、という気持ちもわかるんだけれども、あまり言わないほうがいいのではないかと思っています。
つまりただたんに、毎日暮らしていくために、手や足が動けば自分の手や足を動かしていけばいいのだけれども、しかしながら動かない、動かなければ仕方ない、これは他人の手を借りるしかない、その他人の手を借りるしかないことっていうのはどんなことがあるのか。たとえば、ご飯を食べる、夜寝る、トイレに行く、その他もろもろである、と。これはみんながやっていることであるけれども、私は少なくとも自分の手足ではできない、それは他人の手足を借りてそれでいいでしょう?という言い方もある種原則的に、僕は当たり前だと思うのだけれども、当たり前じゃないという人がいるのであれば、繰り返しいっていく必要はあるのではないかと思います。
そのレベルでいえば、むしろ障害者と高齢者というわけ方ではなく、むしろ高齢者もそうなのです。だから、高齢者にとっても介護保険というのは使いにくいわけで、そこのところは一緒にやっていきましょうという形で提起していくというのがいいのではないかと思います。今はおじいさんおばあさんはおとなしいわけですが、そのうち、中西さんも後5年くらいたつとその年齢に達するらしいのですが、まあ、なんといいますか、小うるさい高齢者が増えていくだろうと僕らは期待しているわけです。そうするとうるさい高齢者とうるさい高齢者じゃない障害者が一緒になってそういうことをいっていける、という風に物事を考えたほうがよいのではないかなという風に思うということがあります。これが二つ目の話です。
これは当たり前の話だと思うのですが、そういう風に言っていかざるを得ないのではないかと思います。何々のためにどれだけいるからそれだけよこせというのは苦しいわけで、一日ずっと暮らしていくためには、人によっては、体の状態によっては、一日ずっといるんだ、いるものはいるのだからしょうがないという言い方しかないだろう、と。そういうことを言うと、三番目の話ですが、お金がありませんという話になるんです。
それに対してどういっていくのか、という話が次にでてくるんです。これはちょっとややこしい話になるし、僕は具体的な数字が頭に入っているわけではないので、具体的にはいいませんけど、まず一言目には足りないはずがないということです。どういう風に足りないのか言ってごらんという風に言っていくしかないと思うんです。相手が何か言ってきたら、それはうそです、と。僕は常にうそだと思っているのですが。それをきちんといっていくという仕掛けにしていくしかないんだろうと思います。
あまり冗談を言っている場合でもないのかもしれなくて、今かなり厳しい状態になりつつあるのかなと思っています。僕は今厳しいというのはなんか狼少年ぽくて、それから現状悲観的に語りたくないというのもあるものですから、あまり言わないようにしているのですが、ただ、先ほど高橋さんも引き合いにだされましたが財政審議会、生活保護費を減らすとか、さすがにそういうことがこれまで語られたことはなかったのですが、そういうことが語られたり、介護保険の自己負担が二割三割に増やすという話がある。これは厚生労働省の利害とは違うからそのまますんなりすっといくとは思えませんけれども、しかしながらそういう話が出てきているという中で、どういう風にお金が足りないという話に対して言っていくのかということがあるだろうと思います。
福祉の領域を聖域にしてはいけないという話に、どういう風に対抗していくかだと思います。それが聖域だったことがかつてあったのかという話もありますが。そういう風にいわれる方がいます。僕は一律にカットというのはとても頭の悪い人が考えることであって、間違っている、と。聖域なき一律カットというのは間違っていて、たとえば介護なら介護にはきちんとお金をつけるということが、しかるべく考えていけば当然到達する結論だと思います。かわりに使わなくていいところは使わなくていい、それは果たしてなんなのか、ということです。という意味では、今しかたなく原則的な立場を問われてしまっているので、それに対して、それをかえしていくということが、どうしてもでてくるということです。
ちなみにそれに関連して言っておくと、基本的なシステムがどういいかという話は今日はできないといいましたが、たとえば、今言っている改革の流れの中で地方分権という流れがあるでしょう?これに対してどういっていくかということですよ。ひとつは、僕は、いろいろなことを地域に住んでいる人たちが自身で考えてつくってやっていくということに全然反対ではありません。けれども全国津々浦々に住んでいる人が大体障害に応じて必要なだけを得られるというのは、どこに住んでいようが得られていいことのはずです。誰が考えたって本当はそうなるはずです。
とすれば、それに対する基本的な水準を設定するのが地方で、てんでばらばらにやっていいという話にはならないだろうと僕は思います。そういう意味では、水準の問題、財源の問題、そういうところにおいて、地方に委譲することを前提にして、そうすると地方は金を出してくれないから、そうすると介護保険に頼らざるを得ないという手前のところを、この制度というものは基本的に国の中で、基本的な水準を保障するべきものだと考えてそういっていくという必要があるだろうと考えています。
もうひとつ補足すれば、たとえば、地方でてんでばらばらでいいということになったとすると、サービスの水準が上がった地域にサービスがほしい人が流れていきます。そのことによってどうしても予算規模が膨れますよね。そうするとそれを嫌う行政当局は流入を阻止するか、サービスの水準を低下させることによって、流入を防ぐということになります。それでどういうことが起こるかというと、横並びの低水準ということが起こるわけです。これは現在身に覚えのある、というか、地方自治体でここ数年、もっと前からあるのです。
ということを考えれば、財源を地方に持っていくということを受け入れざるを得ないという話から話を始めるのではなくて、その手前のところで論を立てていく、運動の方針を造っていくということが基本的に求められるのではないかというふうに思います。これが3点目です。
4つ目の話は、ちょっとテクニカルな話です。ひとつはたとえば、今起こっているある種の嫌な雰囲気も含めて、介護なら介護にどれだけ金を使うのかという基準の問題をやらなければならないのではないかという話が出てきているわけです。それにどういうにいっていくかということです。
ひとつは原則論で、さっきの話です。人々が30万で暮らしているのに、30万介護費がいるというのはおかしいという言うわけのわからんことをいう人がいるんです。それはわけのわからんおかしな話だといった上で、つまり別に倍贅沢な生活をしているわけではない、同じ生活をするのにたまたま私は余計に金がいるのだ、だからその余計な金は社会が負担する、という話です。
その上で、介護にかかるお金は介護に使っていく、使われているということがある種の明朗さをもって示される必要があるでしょうね。われわれは、月何時間介護を使ったから、それに対してなんぼお金がかかっているのです、というある種の(あんまり好きな言葉ではありませんが)納税者にたいするアカウンタビリティを仕込んだ仕組みはある程度必要なのかなと思います。ここには、ある知恵というものが必要になってくると思います。
ちなみにそれはさっき高橋さんがおっしゃったような介護費用は介護費用としてきちんととるけれども、それ以外のところで、たとえば住宅であるとか、所得保障があることが前提で、介護が生活費用に食い込むということがないようなシステムが込みにならないといけないわけですが、そのことを言っていくということです。じゃあ、誰がどれだけ必要なのか、という審査みたいなものを、「必要だ」「必要に決まっている」ということに対して、どういう風に返していくか、ということです。これも長くなるんだけれども簡単にしゃべります。
ひとつは介護というのは必要なら誰でもよりたくさんほしいものであるかといえば、利用者にとってはそうではない。上限がある。最高の上限は24時間である、と。まずそこで、上限はあるんです。それよりも下なんです。そこの中で4時間しか必要がない人が、8時間必要だというかというと、意外と本当はそうではないという実態があると思うんです。それをきちんと伝えていくということです。
そうしないとこの人にあらかじめ何時間という風に切っておかなければ、みんなたくさんほしがるのだから切らざるを得ないという言い方にどういう風に言っていくかということです。そのときに、私は別にたくさんほしいわけではありません。実態としてもそうなんです、ということを言っていくということです。
それからもうひとつは、介護を供給する主体にとっては、たくさん供給した方がいいということがあるわけです。たとえば、医療機関がたくさん薬を出して、経営をもたせているということと似ているわけです。そういう意味では、利用者はあまりいらないのだけれども供給者はたくさん出した方がいいという仕掛けがあるわけです。CILの活動というのは利用者でもあり供給者でもあるということですから、供給者としてはたくさん出したがる傾向にある。そうすると場合によっては不要に膨張する可能性がある。利用者はそうでもないかもしれません。
その辺をにらみながら、どのへんだったら折り合いがつけられる、納得させられるものを作っていけるかということ、これは今後の課題だと思います。そういうことをこれから考えていく必要があると思います。だけど、その手前として、基本的にわれわれ、われわれというかみなさんが、どういう立場にあるかということをはっきりと、ことここにいたってはそれをはっきりというしかないのではないか、というのが二つ目の話で、三つ目のそれにたいしてお金がないという話は、それを信用しないで、それにたいしてどういう言い方を返していくのかということが三つ目です。
そういうことが前提にあった上で、介護保険に対する態度というものは、最初にお話したこと、この文章に書いてあることです。手短に話したつもりですがのびてしまいました。もうしわけありません。この辺で、一つ目の話を終わらせていただきます。
■司会
ありがとうございました。新たに第三の道がなければOKといってはいけないというところが今日の議論の部分なのかなという気がします。介護保険導入の時にたくさん議論があって、障害者がNOといってそして今、5年たとうとするときに、今無理やりにでも、周りから囲いこまれるように介護保険に組み込み説というのが大浮上していく中で、自分たちが常にニードを言っていくことでしかないということと、改革の流れにきちんと自分たちが注目をして、地方分権が一方でいいというだけではなく、基本的に誰もがどこに住んでいても統一的な水準や財源があるような改革のしかたにしていくために、自分たちのスタンスをもっていなければならないということあたりはわかりました。高橋さんにたいする具体的な質問というのは今回はなくていいのですか?
それでは3番目の長野英子さんお願いします。
■■■長野 英子 氏(全国「精神病」者集団)
精神障害者、というか精神病者と私たちはずっといってきました。介護保険、支援費、なんか大変らしい。え?何?私の知り合いの人、一日何時間という風に切られたら死んじゃうじゃない、施設に行けっていうの?大変ね、という最初は私や、多くの地域の精神障害者も、「まあ、身体障害者の方はお気の毒ね」くらいの意識しか、多分ないと思います。私は全然知識もないのに、突然中西さんからお電話があって、何を話そうかなと思ったけれども、何にもわからない精神障害者はとても困っていますというお話をすればいいかなと思いまして、きました。
今、立岩さんのお話のように、身体障害者がいますと、この人にさっさと一人で歩いて、買い物に行きなさいという人はあんまりいないんです。いくらわからずやの人でも。それからさっさと自分の手を動かしなさいという人もあまりいない。一応介助が必要だということは常識的に、その辺を歩いている誰に聞いても認めると思うんです。
ところが、精神障害者に、あるいは、精神病者に介助が必要であるかいなか、これについては、ほとんど専門家の方たちの間にも(認識は)ないと思います。あるいは、介助という概念そのものがそもそも専門家の間にもないとおもいます。何か支援はしてあげなければならないということはあるようですが、介助しなければいけないという概念はないようです。
私は、1990年に外で売っている本を書いたときに、最後のほうに、私たちは、病人ですから、できないことはしてもらう、そっと周囲からお手伝いしてくださいという書き方をして、私たちにも介助が必要ですということを言いました。そして私たち病者集団の仲間もそういうことを主張してきました。
ところが、精神障害者ホームヘルパー制度というものができたのですが、これは全然介助ではないんです。要するに教育訓練、そしてもうひとつは監視、ちゃんと薬を飲んでいるか、ちゃんとお医者さんに通っているかという監視のためにいらっしゃる、という制度なんです。
ともかく私は、非常に素直に、ああよかった、やっとこれで私たちが長年いっていた精神障害者にも介助がいるんだという認識をお上ももってくれたのか、いい時代になった。これはやっぱりJILとかほかの介助をたたかって勝ちとってきた他障害のおかげもあるんだろうと素直に思ったのですが、ところが、実際受けてみるとまったくそうではない。
今あるようなホームヘルパー制度ですと、人様にお勧めする気には私もほとんどならないし、もっとたくさん充実してくださいという要求も実は本人からはあまりでないのではないかなと思っています。
ところがどっこい、支援費で介護保険となったとき、精神はお金がない、7万2千人を退院させなければならない。本当は7万2千人ではない。私は20万人くらい即退院したと思っていますが。お金がないじゃない、どうするのよ、というところから、精神障害者がネタに使われているという雰囲気を感じています。
その意味で、ヘルパー制度の充実という精神に関する介護保障として、ものを考えるなどということはないだろう。精神保健の専門家、および家族会の一部のなかからは、やはり、金をとるならば、介護保険というお財布があったじゃないかという言い方があるけれども、おそらく支援費を精神障害者に拡大するとしても、今の精神保健の専門家のみなさんは一切、自分たちの利益にはならない。介護保険になんとか精神障害者をいれなければ、精神保健の専門家の皆様は自分たちの飯の種の確保にはならないと私はみています。質問がひとつあります。
介護保険では、高齢者の場合、デイケアとか、施設に入った場合も介護保険ですよね?それを確認したいんです。
それから7万2千人問題。すでに日本精神病院協会は7万2千などという数字をだされては困る、と。私は7万2千人、が10年の間に死んじゃうよ、と思うのですが、数字を挙げられても困る、受け皿がないじゃないかという言い方をもうなさっています。そして病院自身が多角経営化し、いろいろ地域のサービスもなさっているわけです。
その辺で彼らはもうひとつおさいふを増やしたいという発想を彼らはするだろうし、だとすれば、たとえば今医療費が足りないとかで締め付けがいろいろあるデイケアなどや特別な施設、新たな施設に介護保険を使おうということではなかろうか、とその辺を例によって、今回の介護保険、支援費問題でも当事者は勉強会、少なくとも私のところにも各団体のところにも一切声はかかっていません。こちらから押しかけたほうがいいのか、無視したほうがいいのかは難しいところですが、私たちにはなんの説明もないので、この辺どうなのか、聞かせてください。
■司会
ありがとうございます。高橋さん、さきほどの質問にお答えいただけますか。
■高橋氏
一番目はそのとおりです。要するにデイケアとか介護保険13種類の在宅給付があります。施設は3種類ということになっています。そのあり方は今議論になっていまして、医療系の介護保険サービスが、さきほど立岩さんが言ったようにそういう体質を温存していますので、それをどうコントロールしていくか、ということが今実は最大の課題です。そして療養型病床群はできるだけ医療に戻したほうがいいという議論があります。
私は個人的にいいますと、やはり今の精神医療の体質をどういうふうに変えるかという議論とセットにならざるを得ないわけで、それをどういう装置を組み込むのかということ、要するにある種の強力な権力集団ですから、これをどういう形で、対応するかという戦略論を継続的に厚生労働省が持つということはなかなか難しいと思います。今たまたまそこらへんを意識した担当者がいます。その間をうまくどうやって使っていくかということは、相当文句・提案・議論を言っていただく必要があると思っています。
■司会
ありがとうございました。時間も押し迫っていますので、中西さんにそのまま引き継いでいただきます。中西さんおねがいします。
■■■中西 正司 氏(全国自立生活センター協議会代表)
少しだらだらしてきたので、気合を入れて高橋さんに連発銃的質問を。第一に僕は支援費制度、今までの障害者サービスの中で、世界中で見ても自分のニーズに応じてサービスがもらえる、自分でケアプランを作って自分が好きなように一ヶ月の中で泳いで回れるという意味では理想的なシステムと考えているわけです。介護保険に入るということは僕は理念的に低いものに入ると考えています。これは当然35万という上限があるわけですし、ケアマネジャーという他人が専門家面してわれわれのケアプランに介入してくるわけです。
われわれから見れば欠陥だらけということです。こういう風に、迷走する制度、それも財源がないなどということを行政が言うべきことか・・・。こういう福祉社会を作りたいという理想を持っていて初めて福祉政策立案者であるわけです。官僚のキャリアがお金がないから、この制度をだしたというのは、末期症状もいいところです。だからこういう役人の言いなりになってはいけない。
介護保険に入ってしまったらどういう未来が描けるのか?結局支援費制度に戻りましょう、以外に未来は描きようがないんです。介護保険を少しでもよくしましょうということで、一時間刻みで外出時間を増やしましょうという議論をいまさらやりたくない。これはニーズ中心でやってきたという以外のシステムというのは考えられないわけです。それを高橋さんは、こういう未来の理念なき福祉をどういう風に支えるつもりで財源論を持ち出されるのか、そこが第一点。
第二点は、二階建て二階建てというけれども、二階建ても税金でやる、支援費制度も税金でやるということです。支援費制度が税金でだめだったのに、なぜ、二階建てで大丈夫になるかということです。これは、市町村に聞いてみればわかるわけですが、われわれの市町村では介護保険に入ったらどうなるかと聞くと、これは今まで内緒でやっていたものが、高齢にもみんな明らかになるんだ、と。
介護保険でベースの部分がみえちゃって、同じサービスで、その上に障害にたくさんの二階建がつきました、高齢はこれだけしかつきません、というのがあからさまになってくると当然、飛びぬけるところは下に下ろすということになってきますよね?これは、市町村の窓口で、障害と高齢をわけることはできないですよ。要するに制度が別だからできたことが、同じ制度だともうできないということを市町村の窓口が言っているのに、なぜ高橋さんは、それが可能だと考えるのですか。
それから二階建をやった場合は非常に限定されます。ALSの24時間呼吸器つけた人など、明快なものについては分類が可能だからやるけれども、たとえば東京大阪の全身性、こういう全身性の社会参加についてアセスメント基準はないんです。明快な介護保険のアセスメント基準は基本的には障害者には向かない。こんなアセスメント基準の中で手を加えたところでどうにもならない。
だからこそ、実態にあわせて支援費制度の勘案事項というものが考えられたわけです。いくら官僚が考えても、現状を認めるためにどういう風なアセスメント基準を考えたらいいかというときに勘案事項しか考えつかないわけですよ。考えつかないことを作ってせっかくこれが制度になったのに、こんな大切な制度をわれわれは手放して、今目の前にお金がないから、1〜2年お金に困るからということで、この制度を手放して10年後の障害者にあんたたちは何が残せるのかということです。。
介護保険を残しておいて、「2003年、2004年の障害者はひどかった。自分たちのことしか考えてなかった」といわれるに決まっています。僕は、10年臥薪嘗胆我慢しても制度は残すべきと思っています。介護保険に入ってしまったらもう戦うすべがなくなるのですから。
35万で足りない、といったときに、今支援費制度は、それは市町村がだしますよ、と。介護保険は、介護保険に入ったということは、あなた方は35万の制度を認めたんでしょう?認めたのに、今さら何をいうの?と。市町村はもう支援費制度という制度はないわけですから出しようがないわけです。あんたたち自分で介助者を探してきてくださいといわれるでしょうね。これは制度上どうしようもない。そのところもどうクリアするのか。
これは、そういう風に言っていくと、やはりお金がないから、と繰りかえすんでしょうね。官僚も同じことを言っているんですよ。お金もないのにそんな理想論を言ってもだめだというわけだけれども、お金がある/ないは政治的な問題なのです。官僚のキャリアさんが考えることではなくて、政治家が、高速道路わずか1.5キロ分の支援費制度のホームヘルパー制度を、なぜお金を使いすぎだとかいうのか?というレベルの問題だから。
お金がかかっている話ではないし、知的障害者なんてましてやほとんどお金使っていない、サービスもない中で、これを今増やしていかなければならないわけでしょう?それを増やす前から、減らしましょうという話がでてくる。介護保険は4時間に減らしましょうということを公にしているわけですから。これを真に受けることはないな、と。できないものはできない。こんな暮らしはできないという以外にないだろう、ということです。
われわれも少し気をつけなければならないのは、立岩さんが言われた人間が成長していく過程で介助が必要なんだ、映画にいったりデートにいったりすることは必要だし、旅行にいくことは必要なんだ、ということを、やはり表むきに言うとこういう風な財源難といっているうちは通らないですね。
やはり飲み屋にいっても箸ももてないのだから、食わせてもらわなければならない。水もくんでもらわなければならない。タンもとってもらわなければならないし、首が倒れればおこしてもらわなければならない。どこへ行ったかは言わないほうがいい。毎日の生活の中でいろんな身辺の介助が必要なんだ、と。24時間どこにいってもいりますよ、と。その細かい中身は絶対に触れちゃいけない。この鉄則は、今後どこの行政窓口へ行っても守ってください。それはいい指摘ですね。これから活用していきたいと思います。
足らない足らないといったときに、足らない理由を言ってみなというのもいいですよね。こういう理由で足りないといっても1.5キロの高速道路分だろ、とか言ってもあまりはじまらないし、こんなのもともと論理も何もなくて、介護保険に入れたいためだけに言っているので、こういうのにいちいちのっていてもしかたないんですよね。
そういう風な意味で筋書きができたレールに乗せるための論理がいろいろ構築されているので、僕は刷り込み作業といっています。お金ないない、といっていれば、本当にないのかなとみんな思いこむのです。まさにそういうことをやられているわけです。
今この介護保険論議は9月までに右か左かいわなければ一般財源化されるよというのが最後の脅しなんですが、これに対しても僕は、一般財源化というのは、基本的にホームヘルプサービスの中で、まして障害者の中でやることはできないだろうと考えています。一つは現実的に今介護保険に入れようとしているわけだから、一般財源化の議論を厚生労働省がこんなところで言うわけがない。この二つは同時に存在しない。
一般財源化してしまえば介護保険はなくなってしまうのだし。介護保険に入れたいと厚生労働省が言っている限り、一般財源化はない。9月の時点でそんなことはありえない。われわれはNOといっても厚生労働省としてはほかに策をもっていないのだから、これで2005年に失敗すれば、2008年に入れようと思う以外に今のところ手はないでしょう。
一般財源化されるということは政策論者にすれば、無策だということをあからさまにするということです。一般財源化より、介護保険というほうが政策論者にするとカッコイイ。そういう意味では論理的にありえないな、ということを投げかけます。
■司会
ありがとうございました。高橋さん、中西さんの挑発的な投げかけに対してお答えいただきたいと思うのですが、ぜひ質問書に書いて後半の議論に自分の意見を反映させながら参加していただくという意味で、聞きながら書けなどと無理やりなことを言っていますが、お願いします。高橋さんお願いします。少なくとも三つ挑発的な質問があります。お願いします。
■高橋氏
にもかかわらず、やはり「財源がない」という議論だと私は理解しています。もうひとつ、ひとつの議論は36万円上限で5時間、という議論がありますが、それは、要するに結果として地域生活がどういう風に支援される姿が作れるのかという問題だと思います。ひとつの議論は、5時間2500円で計算をして、どういう形で、今は介護保険では個別給付ですが、個別給付で単価が決まっていて、それをどう組み合わせるか、ということになると2500円で計算すると5時間という世界があるわけです。
これをどういう仕組みを導入するかという議論、痴呆性高齢者のことを考えていくと、そういう個別性給付型ではいかないだろうと思って地域でいわゆるマルメ型というシステムをどういれていくかという議論になります。その場合に地域で適切な供給主体が問題となります。
そういう意味で、私は当事者団体の議論は展開してきた議論の実績をもっと伸ばしていただきたいと思っていますが、そこら辺のことをどうやって広げていくかということで言えば、それをどういう風に活用していくかという議論があるだろう。
それからもうひとつは、アセスメントの問題で言いますと、勘案事項というご指摘は大変重要で、これはすでに今年の4月からはいってきたアセスメントの中で、痴呆性高齢者については勘案事項を入れて調整するという仕組みになる。障害者のアセスメントではなく、給付上限額の決定といったときに、その方式は、形式的にそういう上限額や決定の方式は残すにせよ、障害特性に合わせた調整をする仕掛けを入れないと成り立ちようがないと思います。そこら辺のところを今後つめなければならないと考えています。
それから二階建ての議論、これはどういう制度設計をするのか、ということとの連関があるわけで、現実には残念ながら非常に少数事例ですが、高齢者介護保険といっても、保険者の判断で、上限を撤廃しているところがないわけではありません。それはその中で、どういうケアがどういう形で可能なのかという議論とも見合いになりますが、そういう風に思っています。
さきほどの議論でいえば、市町村の力量をどう考えていくのかということです。国が保障すべき水準と地域生活の現場である市町村が保障すべきものをどのように考えるかということでいえば、やはり生活の現場でどれだけのサービス供給を組み立てていくかという方法を積み上げていくというアプローチを非常にきちんとやっていかなければ、実は国の標準にもなっていかないということがあります。そういう相互規定があるのです。
国がおろしていくという議論とともに、地方が実績に基づきながら、支援費制度は地域間の差が拡大しつつあるという制度ですから、市町村から積み上げていくという動き、これは立岩さんがおっしゃいましたが、私はにもかかわらず地方分権が進んでいくと思っていますので、そこで実質的に生活を支えうるいわば長期ケアサービス、長期ケアの社会サービスをどういう風に積み上げていくか、それは介護保険の場合は、数値計画を持った介護保険事業計画と老人福祉計画を作ってサービスを積み上げていく、サービスののびをかんがみながら積み上げていくとなりますと、地方自治体の実績、これは東京大阪の議論からもっとも水準が低いのが、茨城神奈川の議論があります。低水準で固定するのではなく、より適切な水準にあげていくかという下支えの現場での蓄積と自治体の職員の力も含みます。
実はそれが政治を変えていくのです。さきほど政治という話をおっしゃいましたが、それはそこでのニーズが反映した圧力がどういう形できちんとかけられていくか、という仕掛けをどうつくっていくかということになると思います。
そういう意味で、措置と介護保険の議論、これは、ひとつはシュミレーションをすれば、中西さんの議論がありうるという風に思いますけれども、介護保険がそれほど、大構造の仕組みなのかというと私は異論をもっています。以上です。
■司会
立岩さんなにかありますか?
■立岩氏
今高橋さんがおっしゃったのは、介護保険ってもうこういう形で固定されていると思っているけれど、そうではない、そうではない可能性があるとおっしゃっていて、それはそうかな、と思う部分もあるのです。ただ今のところ、現状ではかなり、かちっといろいろな意味で決まっています。
今高橋さんが前半の方でおっしゃったように、時間当たりの単価が高いから36万円というお金が意外に少ない時間にしかならないということで、単価は低くてもいいから時間を長くするような設定もやっていけるのではないか、と僕はそういう風に考えてもいるんです。でも多分ヘルパーの単価というよりも事業所にいく手数料みたいな部分が大きくて、それがいわゆる滞在型の介護の場合は訪問型でやるよりも中間経費自体が低くなる可能性があるので、そういう意味ではコストが安くなって同じお金でももっと長い時間できる、それは僕もそう思うんです。
ただ、そういうことはさまざまそのほかにもいくつか高橋さんはおっしゃったけれども、むしろ介護保険のほうを先にそういう風にも使えるとか、上限を撤廃するような形を現実にまずつくってもらって、介護保険も少なくとも、ここまではいけてるよね、という風になって、その上で、じゃあ・・・、という話でないと。まず乗ってください、というのであれば、その後のことが心配すぎて乗れないっていう風になるのではないですか?
■司会
今立岩さんがおっしゃった話というのは、さっき高橋さんがおっしゃった、マルメ型ということだと思うのですが。私はこのマルメという言葉を昨日初めて知ったのですが、みなさんもご存知ないですよね?一般化した言い方だとするとダイレクトペイメント的なもの、直接支給して利用者がコントロールして単価安い介助を得て、長時間にするとかいうことをマルメ型というみたいです。
■高橋氏
基本的に施設はマルメです。施設給付はマルメですからそれと同じことを在宅でやるということです。それについては今度の議論では地域密着型のサービス給付という仕掛けをつくりますので、そこに組み込む、そこでは地域のさまざまな、たとえばNPOやJILも含めて供給主体として考える。そこで組み立てをどういう風にするのかということについてはいろいろな議論があります。
マルメという議論は、それは今の介護保険で言ってもセルフケアプランというものがあって、給付上限額が決まると、自分できめて、セルフケアプランをつくろうという運動が今高齢者ケアの中でありますが、これは、おそらく僕も中西さんと同い年ですから後5年で65歳になるのですが、今のケアマネに介護保険はつくらせないでしょうね。それはやはりアドボカシー、つまり代弁の機能を持たせながら、サービスを供給する側にケアマネがいて、どうしましょう、こうしましょうというのではなく、サービスを利用する側の立場にたってそれを使いこなす仕組みが必要です。
これは高齢者ケアでは2015年の高齢者介護の議論をしたときに、高齢者としても今の質の悪いケアマネージャーを、今はだめなケアマネージャーをとっかえひっかえするカリスマ利用者というのが現れはじめているのでそれはまさに障害者と同じなんです。そういう形での議論が障害者のサービスに介護保険サービスの活用を入れることによってアクセレートするという議論を立てないと逆に障害者は成り立たない、という風になっていくし、すべきだと思っています。
■立岩氏
それはわかるんです。障害者なら障害者の今までのやり方を介護保険の中に入ってくることで、介護保険が変わるという可能性は僕はないとは言えないと思います。ただ先ほど申し上げたのは、少なくとも現状においては介護保険というものはそうたいしたものではない、と私は思っています。それで、高橋さんがおっしゃるような方向に実質的に変わってからでなければ危なくて乗れないということについてどうお考えになりますか。
まず、介護保険、高橋さんがおっしゃった方向にまず変えてよということです。
■高橋氏
それが先ほどの逆に支援費が続いた場合のシュミレーションをどうするか、ということだと思います。逆に言うと、僕は、ある意味で言えば適用除外という議論がありうると思います。高齢者ニーズの一部については適用除外して支援費をやるという議論もそのうちでてくる可能性もあると思います。それがいいことなのかどうかという議論は一方にあります。
一般財源化できるかできないかということがありますが、これは一般財源化の議論はそういう議論で踏みとどまるのかということはむしろ政治の世界だと思います。少なくとも政治的には障害者福祉等について名指して一般財源化する、それから民主党が今後選挙で負けると思いますが、民主党のこの間のマニフェストだと国庫補助金は全廃ですから、そういう意味では政治的には非常に強いながれ、生活保護制度も一般財源化という議論がこの間でたのですが、そこらへんはどういう風にその政治過程を評価するかということの一点にかかります。私はそこらへんについては予言する能力はありません。
ただ極めて一般財源化がとうとうとして進むということに大変私は危機をもっています。これはむしろ中西さんに対してなんですが、中西さんのさっきの話でいうと、どうせ介護保険か一般財源化なので、介護保険のことを向こうは言っているわけだから、一般財源化というのは事実上選択肢としてない、という話になりましたよね。だけど今回介護保険に組み込むという話が流れたとして、数年間、流れた後に、支援費なら支援費の話を一般財源になるだろうということについての読みはどうですか。
■中西氏
実態があるところではどんなに制度に変わろうがサービス量が供給されるというわれわれが一月に経験した、一般則は残ると思います。できる限り地域の実態を作る、知的障害者もサービス実態を作る、県においてもかなり一貫性の多い介助サービスをやっているという実態を作ると。
これを知っておけば、一般財源化したところで市町村はいったん出したものをきるわけにいかない。きっても遠慮しいしい切る以外ない、という意味ではちびちびしか切れないわけです。実質的な減というのはあまり考えられない。現状維持というのは厚生労働省も認めざるを得ないと思います。これは三人とも合意すると思うのです。
ところが延期した場合にどうなっていくのかということがあります。介護保険にはいることが前提になっていれば今厚生労働省も言っているみたいに障害者プランを作ってどんどん湯水のようにお金が流れ、どんどん使えよ、と。そしてかなりサービス供給は潤沢になるという風に高橋さんは言うけれども、僕はそんなに甘くはないと思っています。
身体障害者に関しては現状維持、知的精神に関しては、使いたい放題使っていいよということはありうるかもしれないけれども身体に関して、特に全身性の社会参加といわれている部分についてのしめつけは激しくなると思います。介護保険に入っても国は4時簡に切り落とそうとしていくし、支援費制度に入っても4時間に切り落とそうとするし。どっちで戦ったほうが有利かな、と考えれば、介護保険の老健局と勝負するよりも社会援護局と勝負したほうが、まだ相手が見える。
それから総額としてはたいした額ではないのだから、われわれはデモをしてがんばれば、政治的な問題にもなろうし、その政治的な背景がどういう政権でどれだけ不安定な状況にあるのか、不安定であればあるほど減らす必要がなくなるという意味で自民党政権も危うい。
■司会
ちょっといいですか?高橋さんが、支援費制度については地域差が拡大している制度であるという言い方をさっきなさいました。中西さんはそれについて、支援費というのは地域差を拡大させているのか、私たちにしてみれば、とれるところで、市町村と交渉して勘案事項をきちんと理解させて必要なだけ取れている地域とそうではなく一定の上限があきらかにしかれていて、低いところにおかれているところと差はあると思うのですが、当事者団体があったり、供給団体があるところで、差が拡大しているという風には私は思っていないのですが、そこのところの現実はどのようになっていますか。
もうひとつ。さっきの中西さんの自分たちが暮らしの中で必要な介助をいれて暮らしているのだから現状維持はできる、介護保険はいるのを突っぱねたとしても現状維持はできるだろう、だから僕はがんばるというようにおっしゃったと思いますが、そうすると落ちているかもしれないものとしては新しく支援費に参入してくる、高橋さんの言い方で言えばニューカマーといわれる人、障害を持っている若手の仲間たちの問題は、町田市のように「上限」という形で落ちていくことはあるということですよね?その二つについて中西さんにお答えいただきたい。
■中西氏
これは立岩さんへの反論でもあるのですが、僕は地域間格差は大いに結構と思っているんですよね。どんどんだせる力があるところは出してほしい。その代わり、出身地特例というものを作ってもらって出身地の県に払ってもらうという方法をとりたいですね。どっちみち払うのなら東京都に払うよりも自分の市でサービスよくする方がいいよというインセンティブが働くということですよね。特に施設がたくさんあるところはそこにみんな住みたいと思っているのですよね。そうしないと地域自立ができなくなります。
もうひとつがニューカマーの問題です。ニューカマーについては今も厳しいし、今後介護保険になろうが、支援費のままだろうが、どっちにしろ厳しい、政策転換がなければ厳しいと思っています。自立生活センターはニューカマーにたいして、自分の利益を吐き出しても応援しなければいけないな、と。一定時間、平均的な4時間とかは取れるでしょう。問題はそれ以降でしょうね。何もゼロ、ゼロ支給ということはありえません。足りない分を応援してあげるということ、お互いに助け合ってこの冬の時代を乗り切っていく、ということを考えています。
■司会
ありがとうございました。こちら側だけで議論が進んでしまっています。ここで、腕章をつけている沖縄風の服装の方に回っていただいて、質問用紙を回収したいと思います。そのために、5分だけ外に出ずに、書く時間として沈黙の時間にしてよろしいですか?議論していたらかけませんよね。よろしくお願いします。回収係に渡してください。
←─────────────────────────────── □■□■高橋氏
介護保険の趣旨に反すると私は思っていますし、それを地域でどういう風に用意するかということがあります。介護保険は標準的な給付ですからそれを上回る上限については医療保険で言えば、本人負担とか、総額医療負担、障害者更生医療という仕組みなどで、補足するという制度があります。それについては補足する制度を用意するのが当然だと私は考えています。
それについて問題なのは、どういう対象者について保障するのか、ということです。ALSや吸引などを必要とする人、中西さんの言う必要だという人に無条件に保障するのかという議論が、争点になっていくと思います。どういう基準で設定するのかという議論の中で、無条件で、という議論は留保しなければならないと私は考えています。しかし実質的な24時間で自分の選んだ地域で生活が継続できるような仕組みを構築する、サービスシステムを地域としても用意する責任があるということについては、それをしない限りは施設を減らすことはできませんから、それを用意する責任がある。
それをどういう形でやるかということについては、サービス論とシステム論の組み合わせの問題です。「できます」という風にするべきかという議論については、それを可能にするシステムを地域でどうやって作っていくかということです。そこの議論を介在せずに、無条件で保障します/しないという議論は私も非常にしづらい議論です。結果的に24時間の生活が保障される仕組みを介護保険とさまざまな制度―――これは私が一方に思うには、住宅の問題も重要だと思います――をフル動因すべきだと思います。地域での住まい方等を含めて総合的な議論をこれから明確な形で議論していく必要があると思います。
ですから基本的に現在生活をしている人たちに、24時間で地域で生活をしている人たちの生活の形態を変えるということは私はありえないと考えています。
■立岩氏
たとえば高橋さんは、割といろいろな人を知っていて、24時間必要な人がいるということを現実に知っているということがあるじゃないですか。ただ今介護保険を実際に担っている、改革を論議している人たちがいますよね。その人たちの言っていることは、リアリティがまずあるのか、というと、ないのではないか、ということがまずひとつ。もうひとつは高橋さんが最初におっしゃったのですが、24時間というのをどのように形で保障していくかというと二つある。いわゆる公的保障として24時間が可能であるべきであるという形と、それ以外の家族とかボランティア、という話ですよね。
この場におられる方は一貫して基本的に公的な、それが税金であれ保険であれいずれにしても公的であると私は思うのですが、公的な形でやるということを主張してきた。それも間接的ですが、介護保険なりなんなりということを今現実に動かして論じている人たちというのは基本的に24時間が必要であるということを仮に認めたとしても全部保険なり税金なりでやるという意識が非常に希薄であるという印象を持っています。これは高橋さん一人の問題ではなくて。
そうすると、そういう保険の中に、入ってしまったら、現実にはそういうものは存在しなくてそっちの方向にもっていくことも大変で、ということが当然起こると思うのですがそういう点についてはいかがですか。
■高橋氏
基本的には24時間介護の必要な人たちがどれくらいいてどういうケアをどういう形でうけているのかという議論のデータの積み上げがないというのが現状です。支援費の時にやっておくべきだったと思いますが。それをやはり、一部は全身性障害者の検討会の中で提出されて、積算等が始まっていますから、そういうものを踏まえて全体の具体的な姿を出していく、共有していくという仕事があって、私はその共有の中で基本的に24時間介護が結果的に保障されるような仕組みを可能にするということが、これはある意味では私の責任だと思っています。
■立岩氏
そうしますと、先ほどから言っているそういうことについての認識も十分ではない。それのもとになるかもしれないデータについても共有されていないという中で制度を変えてやるよりも、そういったことを、洗いざらい出してみて、その上でどっちの方向を向いて制度をつくっていくの、という話になるではないですか。話の順序が逆のように思いますがいかがですか。
■司会
そこでみなさん不安になってひっつけたくないとか介護保険の方向がちゃんと見えない限りは動けない、怖いという意見がこちらに多数きています。
■高橋氏
基本的にはまったくその意見については私は同感します。それをただどうやって実現していくか、先ほども言いましたが、結果的に地域生活が可能になるような仕組みをどうつくっていくか。もし私が塩田さんなら、そういうことを言う立場であるかもしれませんが、そういう介護保険のあり方、二階建という議論、補足する仕組みをどういう風に作るかという中で総合的に議論していくべきだと思っています。
■中西氏
少なくとも9月にはいるかはいらないか決めろといっているわけだから、そこのところをはっきりしない限りは、誰も納得しないのではないか?それはいつ二階建論の話の中身というのを話されるのですか?介護保険にわれわれは入るといったならば、ようやくその話にのせてくれるわけですか?
■高橋氏
これは私の個人的な見解です。これは厚生労働省で内部的な調整がついていないのではと思いますが、24時間を保障するためには二階建の議論にならざるを得ませんから、そこでGOサインが出た時点で、どういう形で二階建てを考えるかという議論が出てくると思います。それがおそらく6・7・8月あたりになるのではと思っています。要するに補足するシステムという原則論はありますが、それが具体的にどういう形で、という議論については私はまだ厚生省でどういう議論が行われているのかということを申し上げる立場でもないし、それは要するに私が言う話ではなくて、6月7月のスケジュールの中で議論が出されると思います。
■司会
でも、塩田さんではないので、という風に担当の厚生労働省の人ではないからとおっしゃっていますが、これだけのみなの不安とか実態が上がった上でなお、高橋さんはそれらの委員会の中で推進派として動いていこうとなさるならそれなりのビジョンを私たちに提起していただいた上で、具体的に実施がされて、それで安心かな、やっぱりだめかなという風にみなが決められるのではないでしょうか。
■高橋氏
私は要するに、一番の論点は、施設に逆戻りするのではないか、家族介護に逆戻りするのではないかという不安が主張のポイントですから、それはありえないという風に思っています。そういう形で施設に逆戻りしたり、家族に逆戻りするようなそういう生活形態を選択するような強制をするというようなことはありえないと思っています。それを回避できるような制度的な仕組みを作るというのは前提と思っています。
■中西氏
聞いている限りでは、社会参加部門など、国が面倒見るべきではない、ボランティアがやるべきだ、と。それから命にかかわる部分は国がやるけれどもそれ以上のことをやる気はもともとない、という厚生労働省の幹部がいるわけです。少なくとも高橋さんは推進派という言う限りは、施設に入らないようにします、ボランティアを使ってください、と言うのですか?それとも、絶対自分は死守するというつもりで推進派なのですか?それは、はっきりさせてください。
■高橋氏
やはり地域生活が維持できるような構造としての仕組みをきちんと作っていくことを主張しています。私が中西さんに一番初めに会ったときの議論で非常に印象深かったのは、中西さんがボランティアはいつでも、「ごめん。こられなくなっちゃった」ということができる、だからきちんと制度としてのサービス供給主体を作りたいとおっしゃったことが私の一つの仕事のポイントです。
そういう視点をきちんと維持するような継続的安定的なサービス保障ができるような仕組み、これが直接税金を使うとか公費を使う、介護保険の資金を使う、それを地域の中でどういう形でつくる、ということについてはいろんな選択肢があると思っていますので、その中でサービス論として組み立てていく、そしてそれを可能にする財源の仕組みを作っていくという風に思っています。
■中西氏
高橋さんがいわれたマルメというのは35万の介護保険を自由に使わせるという内容なんです。そういう形で12時間の制度を保障するよ、というものです。それがあるから大丈夫なのではないの?ということなんですよね。ところが、12間プラス、それ以上の部分についてはどうするのと聞くと、これはうやむやになっています。これは二階建論をどういう風にするかというのは、アセスメントも相当明快ではないといけないよ、せめぎあいだね、ということで終わってしまします。保障ではないんです。これは24時間必要な呼吸器つけた人でも12時間保障する、その後は定かではないよというところが問題です。
■高橋氏
24時間の仕組みを作るということは前提だと思っています。それについてどういうサービスシステムで可能なのかという議論を詰めていくということではないでしょうか。
■中西氏
それは、巡回型も含めて考えるということですか
■高橋氏
それぞれのサービス提供の方式に適合的なやり方があると思います。やはり完全に一対一で、従来の介助者というものを、常時介助者がいる、というやり方、そしてそのほかのやり方ということを含めてサービス論としてきちんとやっていく、ニーズに対してサービス論をどういう形で対応させるかということをやっていくという風に思っています。
■司会
新しい質問です。高橋さんに向けてですが。このままの支援費制度24時間の介護保障は国民の共感と理解を得られない、というのが統合推進派の論理ですが、先日のニュースステーションで、久米氏が施設を解体するのは無茶だという趣旨の発言をされました。施設は多くの国民の共感と理解が得られているから成り立っていると思います。まさに、施設やある程度の上限のある制度であれば国民の共感や理解が得られると考えているとしか思えません。今後の施策の方向として施設から地域移行というのであれば、まずは制度として保障すべきではないでしょうか。
■高橋氏
制度というのをどういう風にとらえるかということは別として、地域移行、地域生活移行が現実化するというのは、まったくおっしゃるとおりだと思います。施設というのは縮小ないし解体し、機能分化していくという議論、これは高齢の方でも言われ始めていることです。地域生活移行を可能にする制度的整備というのがこれからの国民の理解と共感となっていくような・・・。
私は高齢者施設については私は特養解体論者で指名手配をされているのですがそういうことを含めて、地域生活の条件というのをどういう風につくっていくか、だと思います。今の実績、積み上げられた仕組みというのを踏まえて、どういう形で可能にしていくのかというそういう議論だと思います。そのために、それに可能な財源を調達するという仕掛けとして介護保険の制度を活用すべきではないのかということを提案しているということです。
(会場からの質問)
■高橋氏
ご趣旨はよくわかりました。基本的に24時間の地域生活というのがどういう形で可能になるか、という仕組み、今ある形を具体的にどういう風にデータとして積み上げていくかという作業が必要だと思っています。
(会場からの質問)
■高橋氏
明言するといっても・・・。そういわれても、という部分はあります。すべての障害者ができるだけ可能な限り地域生活を自己の選択したものに基づいて可能にするということについてのサービスの制度化ということについては、私はそういう方向をできるだけ拡大、実現していくということについてはそれが地域生活移行の前提であるという認識を私は共有しているつもりです。
それをどういう形で政策的な仕組みを実現していくかという方法論として言えば、これは今の政治的、あるいはさまざまな構造の中でそれをどういう形で実現をしていくかということについては私自身の立場で努力していきたいと考えています。
■中西氏
今の二階建ての保障というのは、税金でやると思って議論しているけれども、介護保険で二階建部分を、別建て、障害者地域生活、みたいなものをつくって保障するということもありと考えられていますか?
■高橋氏
ひとつの考え方としてあると思っています。基本的には、たとえば、地域のさまざまな生活支援の交付金制度というのがあるのではないか、ということを思っています。これはいろんな形で提案しています。モデルとして言うと、東京都の地域福祉振興基金ですが、そういうものがすでにもう別の形になりましたが、これは東京都で自立生活運動とかが活動を可能にするため、導入された政策です。
今の議論としては地域で地域生活を行うために必要なさまざまな活動を支援するための交付金というものが考えられないかという議論があります。それは一方で地域の居住系の施設の整備や、サービス事業体をどういう風に入れるかという議論はありますが、サービス提供事業体に支援するような仕組みというのがつくれないかという議論をしています。これはもう少したつと、表に出てくる議論であると思います。
■中西氏
それは何を保障するのですか?サポートするのですか?自立生活プログラムやピアカウンセリングにお金をだすのか、それとも足らない分の・・・
■高橋氏
それは足らない部分の補足ではありません。要するに地域生活の事業体を、地域生活を支援するための事業体を支援するということです。その場合に、当事者団体も対象になってくると思います。
■中西氏
僕がさっき話したのは、支援費5000億ありますよね。5000億が全部介護保険に入れば、二十歳からの徴収で、一兆円の増収になってそこから5000億を介護保険からもらうとなれば、税金は5000億浮いてしまうわけだから、税務署が得してしまう。5000億から1000億くれよ、と。1000億くれたらきちんとして障害者の在宅サービスの特別ニーズにしかつかわない、として1000億つんじゃう、と。1000億の中から二階建部分をだす、ということはありなのか、ということです。
■高橋氏
僕はありうると思っています。そしてそれはぜひ提案をしていただきたいと思います。それは自由分権ということです。結局問題は、そういう形で出てきた財源をやはり障害者サービスにきちんと使う、ということは前提条件ですから、それはありうるでしょうし、非常にいい提案だと思いますし、いい政策だと思います。
■立岩氏
その手前のところに少し話をもどしたいのですが、要するに、地域で暮らせるという方向でいこうということについてはここに座っている人は一致しているといっていいと思うのですが、その際に何がなくてもお金が要ります。お金がいるというときにどちらの方が現実性があるかというあたりから分かれていると思うのです。
高橋さんの立場から言えば、介護保険のほうがまだ見込みがあるだろうということです。中西さんの方に聞きたいのですが、たとえば、介護保険が今年流れたら当座支援費というつい昨年決まったシステムにのってやっていくことになるわけですよね。そこのところの見込み、というかもっていきかたというのが高橋さんが危惧しているように、少なくとも伸びないという風になるのか、やり方によってはどこらへんまでいけるのかということがあります。
たとえば予算よりも100億増えましたよね?増えたということは単純に言えば利用が増えたということですよね?それは言った高橋さんの決算主義でいくのか予算主義でいくのかという話に絡むので、それはそれとして論点はあるのですが、少なくとも増えたわけですよね、一年の間に。ということは、今の支援費になってから、いままで使わなかった人も使うという状況が出てきている、というあたりも含めて支援費で当座やっていった場合の持っていきかた、あるいは予測、可能性をお聞きしたい。
■中西氏
ひとつは、支援費の前の措置の時は、国のホームヘルパー制度というのは毎年使いのこしがあったんです。だからわれわれはいくら自立生活センターで自立生活者を増やしても、いつも余裕があった。全額使い切って足りなかったということは過去十数年間なかったという制度なんです。支援費制度になってなんで足りなくなったのかというと要するに単価を上げてしまったからですよね。たいしてお金ものせないのに、1500円を3000円、4000円にあげてしまった。それは時間をへらさないと足りなくなるのは当たり前ですよね。
そういう経緯がひとつあります。それから障害者サービスというのはそうそう増えやしないということです。支援費になって増えたからこれからも増えるだろうという意味では、全国的にどこででも使えるようになったから、そういう意味では増える要素は出てきた。でも精神・知的を見ても、在宅の当事者支援というのはないので、どの市でもそうそう知的障害者が自立生活をして、使うというのはないですよね。親元にいて20時間、月に使うのが精一杯。大体作業所に言っているから土日外出に使うくらいですよね。精神のほうはどうかといえば、ほとんどそんなものは使いたくない、家に人が来るのがいやだというのがほとんどというのはご存知のことだから、そうそう増えない。そういう意味では総障害者人口300万人で高齢の団塊の世代みたいにどんどん増えていくということはないわけだから、そうそうパイは増えないだろうというのがあるんです。
それから支援費にのこった場合にどうか、という話です。これは介護保険反対反対といっていますが、八団体の中で賛成賛成といっている団体もあるんです。そうであれば、最左翼としては反対反対といっておかなければバランスが取れない、と。これは、反対という形で支援費に残った場合はきついものがあるんです。というのもお金とってくるのはキャリア官僚で、おまえらのために働くか、と思うわけで。ある程度仲良く試合を終えたい。
われわれは入りたかったけど、どうしても入れなかったよという形がベストなんだけれども。延期しながら、厚生労働省としても介護保険にいれる4年間の間にサービスをどんどん使わせて利用を増やしたいというのがあるんですよね。とにかく今660億しかホームヘルプサービスを使っていない。すくなくとも2000億以上にしないと、介護保険とトレードオフできない。交換したときに660億しかもらえないんじゃお話にならないでしょう?だから、できるだけ増やしたい。だから今新障害者プランで数値目標を掲げて、どれだけサービス増える、と聞かせて、それで積算をたてて予算立てて新障害者プランをという案が出てきた。
これは厚生労働省側から言えば、介護保険に入ることが前提であるということだけれども、それをあまりはっきり入らないで延期できればベストケースですよね。これは難しい話ですが、介護保険にわれわれ8団体が全部入りたいといったところで、財界は反対しているし、政治家は反対しているし、20歳から徴収される人は猛反対している。賛成したところで入れるとは限らない。今の状況は入れないケースの方が高いのでは、と思っているので。延期される可能性はあるだろう、と。新障害者プランもしかり、と。ばら色の未来ケースですよね。現実にはもうすこし違うところに落ちるかもしれない。
■司会
新たな質問で、ずっと基本のところへ戻る質問ですが、支援費を一般財源化する必要性を簡単に教えてください。お金がないといわれてもよくわかりません、というのが高橋さんにきている質問です。
■立岩氏
もしかすると、一般財源化自体わかってないという場合もあるかもしれません。
■高橋氏
道路もそうですし、なんでもそうですが、日本の事業というのは法律に従って国が事業主体に補助金を出すというしくみになっています。福祉サービスについては従来国の責任だと考えられていて、地方自治体は国の機関の代わりをやるという考え方でした。生活保護制度などがそうですが、機関委任事務という考え方です。これはつまり、国の機関の手足として市町村は仕事をするというものです。その分国は、事業内容とか基準を全部決めて市町村にやらせる、という仕組み、それが補助事業というものの考え方です。
それが平成2年の改革で、身体障害者サービスや高齢者サービスが、市町村がやる仕事になりました。地方分権の考え方でもそうですが、法定受託義務というのが従来の国の仕事で生活保護はまだそこに残っています。ところが、基本的にはそのほかの福祉サービスは市町村が主体となってやる仕事で、それについて国が法律に基づいて補助金を出すという仕組みになりました。これが平成2年のことです。
それでそうなりますと、市町村がそれぞれのサービスをやる、ということになる。と、すれば国が補助金を出すのではなく、地方自治体そのものにも税金をとる、たとえば固定資産税と住民税がそうですが、それ以外の費用もすべて税源を移譲して地方自治体で裁量する仕事として福祉サービスを位置づけています。補助金は国が流すのではなく、地方自治体に全部ゆだねましょう、という考え方が一般財源化というものです。基本的なガイドラインについては国が決めるとしても中身については市町村が独自の政策的判断で決めることのできる仕事として位置づける、ということです。
この位置づけで、補助金は基本的に廃止して、市町村の仕事にするということです。これはたとえば、スウェーデンや欧米の多くの福祉サービスはそういう風になっていて、税源も一緒に動いています。消費税もあれは国ではなく地方消費税みたいな形で地方が自由に使えるお金として配分されています。そういう形にしていこうという大きな流れがあります。そうしますと基本的なサービス水準やナショナルミニマムという議論を、これまでは補助金が保障してきたけれども今度はむしろ市町村の裁量だという考え方で総論的な議論が動いてきています。
去年決まった方針では大体総額4兆円くらいをそういう形にするという風にきまりました。それにしたがってさまざまな福祉以外も、教育なども財源が移って、補助金をなくして一般財源にしていくという動きになっています。それが独自性を発揮することである、それが望ましいという考え方もあいまって、とりわけ都道府県や市町村の見解として主たる福祉の補助金については地方の裁量でやれるようにしなさいという動向があります。これが今内閣の方針になっているということです。
■司会
ありがとうございました。それから矢継ぎ早に高橋さんに質問がきています。精神障害の方から支援費制度と介護保険の統合化は精神障害者分野のケアマネジメントの制度化、いわゆる福祉医療従事者はとりわけ賛成していると私は捉えています。しかしただでさえ、施設主義、父権主義、専門性の高さを特性をしている彼らにこれ以上人生を指導・提示される仕組みには絶対に反対です。先生はどのようにお考えでしょうか。ケアマネジメント導入ということにたいして賛成なのでしょうか。
■高橋氏
この間僕は、ケアマネジメントという言葉を使うのは少し控えたほうがいいのではないかということを言いました。実はケアマネジメントというのは本来はサービスを利用する側の代弁機能を果たすというものです。そういう機能であるはずだと思っています。それが今サービスの供給側の中で、提供されていますからそういう意味で、権利擁護、代弁機能とのセットという風に私はその仕組みを具体化しないとケアマネジメントはケアマネジメントの意味を果たさないと思っています。
そういう意味で、どういうケアマネジメントを作るか、今までの発想の延長上ではないし、ソーシャルワーカー、生活支援という視点での専門職が残念ななら日本では制度的に不十分ですが、できるだけ限定すべきで、看護士や介護福祉士の仕事ではないと思っています。ただ、ケアマネジメント機関という議論があると思います。代弁ということになれば、当然当事者組織というものをどういう風にそのプロセスに仕組みとして考えていくかという議論もあります。ただ、多くの人たちはまさに、そういう従来の延長線上でケアマネジメントを考えている方が多いのは事実です。
■司会
それについて長野さん、ご意見ありますか?
■長野氏
今ご質問なさったのは精神障害者の方ですよね。その方のおっしゃっているケアマネジメントというのは介護保険のケアマネジメントよりもっと恐ろしいものです。というよりもひとつは、介護保険のケアマネジメントと同じでこの人はこれができるこれができないというチェックリスト票というのもありますが全家連の精神障害者ケアマネジメントという本がありまして、わたしはこれは差別文書だと怒った文書があります。
たとえば、反社会的な行動が多々見られる(人前で下着を見せる)とか。あるいは、病院のケアマネジメント、ケーススタディで、この人は妊娠すると、具合が悪くなるので、不妊指導しました、とか。つまり、今の質問のように障害の社会モデルという考え方はいっさいなくて、病気と病気の症状として、あるいはPSWというおそるべき職種が私たちのところにはありまして、その人たちが医師の指導のもとに正しい理想のあるべき患者としての生活をこのようにしなさいと親切につくって下さるというおそるべき制度なのです。
これを私個人や今の方は非常に怒っていますが実は、精神医療改革運動としてはこれで7万2千人を退院させるんだ、支援してあげるんだという路線が今ひかれているんです。そういう中にヘルパー制度が組み込まれるのだとすれば、中西さん、支援費制度に精神が入るという芽はありますか。
■中西氏
精神の人ほど支援費制度に入ったほうがいいと思うんですが。使いやすくなりますよね。つきに20から30時間をまとめてドンと使ってもいいし、使った後に報告してもいいよ、と。事業所と話し合えばいいんだよ、と。いつ具合が悪くなるかわからないし、精神障害者が急患ケアプランに基づいて介護保険のようにやるのはあまり意味がないと思う。
■長野氏
精神だけ特別、精神だけは特別に私たちが指図してあげるというケアマネジメントを逃れる芽があるとすればむしろほかの支援費制度の今までの他障害がたたかってきた介護保障の中に入れてもらうということは専門職支配から逃れるには、ありうるべき選択として一番楽かな、と私は思っています。
■司会
議論の途中ですが、高橋さんのタイムリミットが近づいています。高橋さんへの集中的な質問が展開されてきたわけですが最後に議論はいろいろありますが、みんなここでとどまりたい、安心できるものとして介護保険は見えないというのが質問の中であふれていることです。その介護保険に入った、となったときにどうなるのでしょうか、という仮説で、アセスメントの問題や社会参加の問題、ガイドヘルプの問題とかについて高橋さんに最後にお話いただいて、解放させていただきたいと思うですが。
■中西氏
それと、僕が最初にいった理想的な社会システムとしての介護保険と考えられるのだろうから介護保険のさらに先に何を構想されるのか、支援費制度を構想されているわけではないでしょう?
■高橋氏
後10分、大阪行きの最終便にのらなければならないので、すみません。ひとつは介護保険制度というのは高齢者もまったく同じですが、ひとつの部分に過ぎないと思っています。高齢者については非常にはっきりしてきているのは所得保障の制度が不備である、住宅対策が不備であるということです。
そういう問題は障害者ではもっとひどいんだろうと思っています。そういう意味で年金改革が終わりましたけれども、障害基礎年金の水準はあれでいいのかという議論がありますし、地方自治体は導入しているところもありますが公的住宅手当てなど、自由な選択という意味では居場所の選択をどういう形で保障するのかということです。それは生活保護の住宅扶助をもっと機能的に運用するようなやり方、とかさそういうものがなければだめです。
それから就労という点では雇用就労との結びつけという風になってしまいますが、それを就労と社会参加をどういう風に考えるかということは大議論だと思います。単なる雇用就労ではなく、さまざまな社会的な活動を吸収できるような仕掛けというのは地域にどうしても用意しなければならない、とか。
その中で、私は介護保険の機能が相対化していくと思っています。逆に言えば、支援費なら支援費しかないんです。生活保護等で補足するという仕組みですが、総合的な仕組みの中で介護保険のある機能をどのように発揮させるか、それで足らないものをどのように補足していくかということだと思います。
アセスメントの問題については、要するに標準的な給付を行う目安としてのアセスメントという議論は介護サービス・介護給付を行う対象としてどういう風に議論するかというのは介護保険のひとつの仕掛けですので、支援費での支援の区分、支給額の認定という形で導入されている仕組みの形に限りなくどうやって近くしていくかという議論があります。それについては相当な議論を今後しなければならないことです。ただし、さきほどおっしゃった勘案事項という考え方、これをどういう形で支給区分の決定の中にいれていくかという議論が中西さんの議論を踏まえて考えていきたいと思っています。
それから、ガイドヘルパーについてです。高齢者でも介護タクシーとかガイドヘルプのスキームがありますが、障害特性に合わせたサービス給付を用意するというのは大前提と思っています。障害特性といわないほうがいいかもしれませんね。高齢者も障害者も支援の必要に応じた給付をどうつくっていくかということについてぜひ課題提供していただきたい。
その意味で、先ほどのケアマネジメントの話ですが私は障害者ケアマネジメントの本を読んで大変違和感をもちました。障害者ケアマネジメント、高齢者ケアマネジメントというのは実はないんだと思うんです。精神障害者向け、身体障害者むけ、高齢者向け、という話ではないと思い大変違和感を感じて、これは今までのやりかたの延長だと思い、障害の検討会でも何回も発言をさせていただきました。やはり生活者の立場から支援する支援機能というのがケアマネジメントの前提で、それをやるためには事業者に属しているようなものは非常に部分的で、別のやり方を考え、権利擁護と結びつけることが重要だと思っています。
■長野氏
今、精神障害者の場合は、今級の切り下げで3級が増えていまして、もはや基礎年金も生保の障害加算も切られるという瀬戸際にいるもので、そこが非常に深刻な問題になっています。つまり私たちは3級になると障害者ではなくなってしまうんです。
■司会
ありがとうございます。最後に高橋さん、私たち自立生活運動をしている仲間が全国から300人集まっているのですが、その私たちにたいして、推進派の立場で何か言い残していく一言、みんなに期待することを一言お願いします。
■高橋氏
やはり私は自立生活運動の仕事というのは日本の福祉サービスを変えてきたと思っています。そういう意味で言えば、ひとつは自治体で必ず自立生活運動がある、そしてサービスを当事者の立場で組み立てている。それが結局自治体を変えていきますし、国を変えていくと思っています。一方で現前として、さまざまな制約や限界があるということは承知しております。
先ほどいろいろな質問をいただきましたがそれをぜひいろいろな形で伝え、政策の議論の中に私なりに反映させていきたいと思っています。一方で、どういう判断をするかということがこれからせめぎあいになりますから、そういう意味では、今の時点では私はなかなか言いにくいところがありまして、ご批判いただきましたが、何回でもうかがわせいただいて、議論・みなさんのお考えを受け止めたいと思います。責任を取れ、というのには少しまいりましたが。私なりの責任はそのような形でとらせていただきたいと思う。
■司会
ありがとうございました。いい議論ができたと思います。長野さんの中西さんへの議論に戻ってもいいでしょうか。
■長野氏
私の話は34ページから入っています。これは本当は、加藤さんに前にきていただくといいのではないかな、と思うのですが。実際に精神障害者に介助がいるというということが実はぜんぜん認められていないのではないかなと思っています。先ほど話したように、私は精神障害者介助制度ができたんだというように喜んでいました。
23年ぶりに事情があって引越しをして、一人暮らしをして、荷物の山の前で、困った、困ったら相談に行こう、と素直に相談に行きました。すったもんだありました。私がいいつづけているのは二つだけなんです。私は今困っています。お手伝いがほしいです。あなたの言うことはわかりません。私にわかるように説明してください。この二点だけを言い続けました。割とまともなことを言っていると思うのですが、私は大田区に住んでいるのですがまったく向こうの言っていることがわかりません。
最初は、いきなり向こうが言い出したのは、精神障害者は人といると疲れるから最初は30分、せいぜい1時間の派遣です。そんなことを言うと病院に住んでいる人はみんな精神障害者ではないらしいし、作業所に通っている人も精神障害者ではないらしんです。どうしてこういうことがでてくるのかというと、ともかく相談に来た人をあきらめさせておいかえしたいということなんです。
ところがみなさん支援費の場合は予算がないからできませんといってくれているようですよね。ところが私たちの場合はお金がないからあなたには派遣できませんとは言われなくて、あなたのためです、あなたの自立のために派遣できない、派遣するとよくないんです、30分以上派遣するとあなたの自立のためによくないんです、と。しかも派遣は、0にすることが目的で、3ヶ月ごとに見直して、どんどん削っていって4時間が3時間になり、4分の1自立できて0になって・・・はい、0になりました、おめでとう!というシステムなんです。
これは大田区が特にひどいということもありますが、不思議なことで、こういう要求があったけれども区の制度としてはこういう枠があるから、あるいはお金がないからできませんという風に供給側と利用者側の要求が一致しなかったということを絶対表に出したくないらしい。
最初にケア会議をして、あなたは週1時間月4回と決めたらそのとおりに申請書を書いてくださいといわれます。私の希望は月4回1時間です、と。つまり大田区のホームヘルプサービスにおいてはすべて利用者の希望がかなえられ、利用者の希望どおりに派遣していると言うのが公の記録になるわけです。
私は納得できません。これは行政処分ですから、異議申し立てできます、しかも、決定通知には異議申し立てできるという教示、これはたいてい行政の決定通知には下のほうに小さな字で60日間にこの不服がある場合は異議申し立てできますということが書いてあるのですが、それも書いていないんです。それで確認して異議申し立てをしました。その後すったもんだありまして、直しますから安心してください、ご相談に応じますよといってつきに1度、2度アポも取らずに押しかけてきます。
モニターです、というのですが、ほとんど私をいたぶりにきたとしか思えない。切るときは3ヶ月でばさっと4時間をばさっと切る、見直しは八ヶ月かかって週1回1.5時間毎週という風になりましたがその間ずっと嫌がらせを受けたというのが私の感想です。
最終的に増やすにあたって保健士さんからはまたケア会議の話をされました。あなたはこのケアプランに同意しないとケア会議が開けません。したがって派遣時間はふやせません。意味わかります?私が1.5時間毎週を望んでいます。そしてケア会議は形式的にこれを確認しましたという形で、一切もう二度と意義申し立てしないでよ、ということなんです。
でも私はまた意義申したてしました。その間は、ともかく、入院がきまりました、具合悪いです、私はうつ病です、何日から入院しますとご連絡申し上げているのに、朝突然アポなしてピンポンとうつ病の人間に不意打ち訪問するなどということはまさに殺人行為です。そういうことをなさる。保健士ですよ。専門家の方がそういうことをなさる。
ほとんど相談に来た人間にたいしては嫌がらせをして追い返しているそうです。なぜかというとユーザーがいないんです。中西さんがおっしゃるとおり。ヘルパーがほしいといって窓口に一人でいくような人はまずいないんです。病院が手配して、PSWが「ヘルパーをおつかいになったら?そうしたら生活も規則正しくなってよくなるわよ」とかいって。保健士さんはPSWとお話になったのだとおもいます。多分あの方は生まれて初めて精神障害者と口を利いたのだと思います。精神障害者と付き合ったのは初めてでしょう、とつい言ってしまいましたが、多分そうだと思います。
そういう状況なんです。今のヘルパーの状況は。ですからみなさんのような権利意識の高い、支援費にのっかれたら少しはわれわれの状況は変わるかなという思いはあります。ただそれは非常に今の行政の流れから言えば難しいのではないかなと思っています。ひとつは身体障害者と私たちが違うのは、ともかく治安の対象ということがあるんです。
心神喪失者医療観察法というのができて、見ると予算600億、あら、これやめたら支援費ができるんじゃない?とか思ったのですが、最低の積算でも入院の処分だけで毎年60億くらいかかる。そしてもう準備で100億使っているという無駄金、です。この制度のために地域処遇のためのガイドラインというのができていて、後ろの方の資料に全国の精神障害者ホームヘルパー実績というのきちんとのっています。
これは今精神保健の専門家はともかく精神保健はお金がないからどんな口実でも作れば言いと言う風になっています。治安に協力ければ精神医療にお金が回ってこないというのが彼らの戦略ですから、この心身法の運用が、今後の私たちの地域処遇なり入院処遇の基本になると私はみています。ですから、精神はべつだてというのはずっと続けたいというのが厚生労働省の考え方ではないかと考えています。その辺を私はぜひ加藤さんに聞いてみたい。
■司会
ひとつ質問があります。加藤さんにしかわからないかなということを長野さんにむけて質問なさっているかたがいます。加藤さんいらっしゃれば、こちらに来て一言。
4月30日の対話集会で精神障害者は護保険のダシに使われている、抑圧だと加藤さんはおっしゃっていましたが、その辺の部分について。
なぜ精神障害者が支援費にはいらなかったのか教えてくださいというのがあります。
■加藤氏
こんにちは。まず今、樋口さんが読まれた質問から答えるということでよろしいですか?4月の30日に私はたしかにそういいました。それは五分間しか時間がなかったので、とてもわかりにくい話をしてしまったと思います。今長野さんがいわれたように、この2〜3年間は心神喪失者医療観察法をとにかく廃案にしようということで、精神障害者の人たちは一生懸命たたかってきたのです。
これがでてくる寸前くらいに一部支援費制度というのが学習会などではでていたんです。でもなかなかそちらのほうが70年代80年代につぶしてきた、保安処分的なことがでてきてしまったためにとにかくそちらとたたかっていたわけです。その間に支援費制度というのがみなさんのほうは決まったわけです。支援費制度の問題が投げかけられた団体の中に、明らかに全家連はあったのです。
けれども全家連はみなさんの団体や育成会のように支援費がいいという風にもいえなかった、とても善意に解釈すると「支援費ってなんなの?」という感じではなかったのかと思います。さきほど、わたしが高橋さんに差し上げた質問はあの中に、専門性の高さということを書きましたが、それは決してほめているわけではあります。
同じ生活をしているものとしてつきあっていうとか、ましてや強制的に隔離する、強制的に入院させるというのはもとより、毎日毎日私はこうしたいんですと主張しても、あなたは今状態が悪いのだから、それよりもこっちの方が絶対いいという感じの、父権主義というかそういう付き合いかたをやっていて、専門家さんたちが言うのは精神や知的や身体に比べれば、付き合い方が難しいといっています。
現にSWも別だてになっています。医療のことも知らなければならないし、福祉のことも知らなければならないし、という風に閉じこもっているわけです。でも私に言わせれば、高橋さんですらおっしゃった、普通の人間として生活のレベルで付き合ってもらうほうがよほどいいわけです。そういう視点がまったく抜け落ちてしまっている専門家に私たちは囲まれています。
全家連は精神障害者関係者とばかりつきあってみえるから、せっかく厚生労働省が誘ってきているのだから、他障害と同じにしてほしい、「うちの子もそれがいいです」とどうして言ってくれなかったのかな、と思います。今財政が困難になったというよくわからない理由で精神障害者をだしてきた。
私に言わせれば精神障害者の触法問題で55億も予算をつけています。そしてあれだけ反対したのに、そのときに、医療従事者も福祉従事者もほとんど反対しなかった。ここにきて55億という予算が一方でつきながら、こっちのほうの統合問題のここの部分だけで一緒にしてやらないとこの人たちはますます乗り遅れるよと言う風に身体や知的の人を脅していると思います。
そんなに精神障害者のことを考えているのなら、精神障害者の利用者主体にするということを基本にすえる、そしてそれこそ権利擁護ということを高橋さんもおっしゃいましたが、それをすえる。心神喪失者医療観察法などという差別を助長するような本当に使わせたくありませんが、本当にそういうものにお金をかけるよりはまずは、先ほど中西さんが、精神障害者はあまり支援費使わないよとおっしゃいましたが、私は絶対にそんなことはないと思うんです。ある意味では倍かかるんです。ゆっくりゆっくりやらないと混乱するのですからいっぱいいっぱいかかるのです。
でもそれを高橋さんがいる間に言うと、せっかく見方にたっている人の足を引っ張るかなと思ってだまっていたのですが。とてもかかります。それくらいお金がかかるんです。それにどうしてまわさないのか。そんなに精神障害者のことを思っているのなら精神障害者も自立支援のシステムを作るということをまず第一に考えて、向こうに回った55億をこっちに使えばいいのではないかと言うことを思ったのでああいう言い方をしました。これが4月の30日のことです。
もうひとつ長野さんがいってみえるあり方検討会の人たちは本音のところはどうなのだろうということです。私はとてもとても危惧しています。みなさんはある意味で支援費制度をこれから五年間は、これだけのパワーになったので、試せるかもしれません。
しかし精神障害者はこのまま行けばおおむねまわりは介護保険と支援費制度を統合してお金を捻出していこうということ、そしてそれでないと7万2千人はもとより今の地域生活のいろいろな施設にもお金がまわってこないから、そういう風にしたいというのは本当に委員でみなぎっています。高橋さんの弁護をするわけではないですが、ケアマネの話が出てきたときに高橋さんがああいうことをいったのも事実です。そしたら他の委員はシーンとしていました。
ケアマネジメントは今回のあり方委員会の冒頭から今度こそあれを制度化してほしいということを病院も病院の経営者も、社会福祉の人たちもとても声だかにいっています。
■長野氏
質問は、精神障害者に介助が必要だという概念をあり方検討会の専門家は持っているのかということですが。
■加藤氏
持ってると思います。しかしそれが長野さんや私たちのような実際の本人が求めているものなのか、彼らは彼らの考えで、お風呂にもほうっておくと不潔だろうし、食事もきちんと栄養を考えて作ってあげないとだめだろうし、というようなところで、あの人たちはあの人たちなりに必要だと思っている、もっともっとお世話をしてあげなくちゃならないと思っているのは事実です。
プラスいやなのは、病院でもどこでも仕事としてやりたい、そしたらそれもまた自分たちの事業になっていくという福祉や医師と言うよりも事業家なんだなという気持ちで私たちは見ていて、とても危惧しています。
■長野氏
私の危惧が残念ながらあたったようです。もう少しまともかな、と思ったのですが。実は自立と言う言葉、とか支援と言う言葉を私と加藤さんの中ではかなり共通しているイメージがあると思うけれども精神医療業界の人たちの自立や支援と言うのは、私たちにとってはむしろ、やらないで、迷惑、ということの方が多いのではないかと言う気がしています。それをなんとかせめて障害者の基準にくらいよせてもらいたいなと思うのですが、その目というのはおそらく厚生労働省にはないでしょう。
■加藤氏
それは長野さんが今日ここにやってきた意味もすごく大きいと思うし、精神障害者や知的障害の人たちがこういうところに一同にかいすというのは非常に意味があると思います。すべて同じではないだろうでしょうが、おおむねは生きづらさを持っているというところでは同じなわけですから、私たちはそこでみなさんに精神障害者も知的障害者も社会的に生きづらさを持っているという意味では同じなんだなというので、引っ張りあげてほしいと思います。
私は長野さんが言うほどあきらめてはいません。言い続けるつもりです。
■司会
そこの部分は私たち自立生活運動の仲間たちとなんら変わることなく共通の基盤であると思います。休みもなくやってきて、頭が爆発しそうなぐらい疲れていまして、皆さんもそうだと思います。終わりの項目に入っていきたいとおもいます。たくさん質問してくださったのに、一応こちらで集約して質問をぶつけたりして割愛させていただいたかたがたについては「ごめんなさい」。これから今夜の交流会とか、そういう中で具体的にそれぞれのニーズをもった方が近づきあって語りあっていただければと思います。
パネリスト3人になりましたが3人の方に最後のまとめをしていただこうと思います。それにたいして質問を、誰にという形でなくて、ある質問のいくつかを言った上でそれに答えていただきながら、最後の閉めとしたいと思います。
制度が何回も変わる中でどういう制度にすればいいと思いますか、支援費制度のままいった場合今自立している障害者と今後自立する障害者の時間数はどうなっていくのでしょうか。というような質問が寄せられていますので、今回高橋さんと言う方を向かえて、私たち側の思いをきちんと伝えるというところに主眼を置いてしまいましたが、それは大事なことだと思います。それにつけてもこれらの質問に答えて最後の閉めにしていただきたいと思います。どちらからいきましょうか。
■立岩氏
最後に。基本的には今回私が資料として提出させていただいた文章、あれから最初にしゃべったことを、一言も変更する必要がないと思っています。つまり今現在において、介護保険にのるという話はできないな、と。高橋さんは介護保険をよくしながらそこの中で、という戦略をお持ちで、それはそれとしてわからないでもないのですが、現実的に考えたときに介護保険がどういうシステムであるのか、どういう思考や思想をもった人たちがそれを支えているのか、どういう財政的な基盤の中に存在するのかといったことを考えた場合に展望は明るくない、という意味では乗れない、という話を繰り返さざるをえないと思うのです。
今回のことにしても要するに介護保険の利用量が伸びていて、予想外に、と人は言うのですが、それは予想が間違っているに過ぎないと僕は思うのですが、要するに伸びて、もっと若い人から介護保険料を取らなければならないという話になって、僕は最初から二十歳から介護保険料をとるべきであると、介護保険の内部で考えればいいと思っていたわけです。つきましては、若い人からも保険料をいただくかわりに、高齢者ではない障害者もという話の流れもあるわけです。というような場合を考えたときに、介護保険に現在のることはできないということです。
そのときに、今回のことはかなり詰まった交渉ごとでありますし、そこにはかけひきもあるでしょうし、そういうものだと思います。ただ、であるからこそ、一面では原理原則的な立場というものをはっきり明示しながらやっていく、原則的にはそこからひかないという動きを継続していく必要があるだろうと思います。
今回資料としてお配りしたものの中に介護保険の導入のときに、実は最初から障害者を入れるという話もあったわけです。それに対して、障害者は基本的には乗らなかったわけです。仮にあの時に、乗るという話が現実味を帯びたときに、こんな介護保険にのれるかという大きな運動が起こったはずで、そのことによってもしかしたら変わったかもしれないということを書いたことがあります。ある意味では去年の一月の上限問題のときに現実化したわけです。
つまりある上限を設けるということが語りだされたときに、あれだけ強大な運動が起こり、それにより何かしらのものが変わったわけです。と言う意味では、原理原則というものをはっきりさせた上で、組むべきものを組んでいけばずっとではないかもしれないけれど当座はしのげる、と。そこの中でもっとましなものを考えていく以外にないだろうと思います。
そのときに、僕は、あまり社会参加のためにとか、高齢者と障害者は違うんだという話は、したい気持ちはわかりつつ、しないほうがかえっていいのではないかなというのは最初の話の時に申し上げました。それから支援費の話に関しても、中西さんはそんなに増えないよ、といいました。それはお財布のことを気にしている財政側に対して、大丈夫だよという言い方としてはあるんだけれども、やはり、そういうための言葉であって、基本的には支援費の今の現状で全国的な水準で考えたときに、足りているかというと足りていないわけです。
格差というのがあっていいといっていたけれど、つまりこういうことだと思うのです。今まで全国的な統一制度がなかった中で、運動の力で自治体を突出させて全国の水準をどんどん上げていくという戦略が有効だったということだったと思うんです。
でも、サービスをえられる、得られないということにおいて地域間に格差があっては原則的にはいけないと思います。それは国家の責任であり、財源論とかいう話においても、そこを基準にして考えるべきだと思います。ほぼ繰り返しでしかなかったわけですが、以上述べまして私の発言の終わりにさせていただきたいと思います。
■司会
ありがとうございました。長野さん一言おねがいします。
■長野氏
やはり精神は別、なぜ支援費にいれなかったのかという説明がおそらくどこからもされていないとおもいます。はっきり言えば、精神障害者は違うから違うんです、と。少し、カッコイイ説明は疾患と障害を併せ持っていますということです。常に私たちを別にするための口実です。
これはほとんどいろいろな人たち、専門職の皆様の頭にしみついていることです。先ほど加藤さんがおっしゃったように、私は今日ラーメンが食べたいといっても、ラーメンが食べたいということを誰も素直に受け止めてはくれません。ラーメンでは栄養が偏りますよ、という指導が必ず来ます。実はこれは身体障害者もやられてきたことだと思います。そういうことがずっと続いています。その意味で、精神障害者は違うということがあります。それからもうひとつあります。やはり私たちは治安の対象なのです。そのために非常に怖いのは、個人情報がどこまで守られるかということなんです。
地域の支援と言った場合に関係機関の連携ということで、44ページに図をつけましたが、心身法の体制化の地域支援モデルです。裁判所と保護観察所がなければほとんどすべての精神保健専門家の理想ですよね。あらゆる地域資源の方たちが私のことを勝手に相談して、最近は私も入れてくれるけれども、私一人をぽつんと入れて、つるし上げという感じで勝手に決めるというような、しかも情報も共有される。そういうことをこれからどんどんやられていくだろうと思っています。その中に、おうちにくるヘルパーは怖いわということは当然あるわけで、もっともっと、本当に二人では、あの怖い怖い先生方に対して二人では本当に大変だと思いますが、精神障害者が押しかけろというように、もっともっといろいろな声が上がっていいだろうな、と思います。
正直に言うと、支援費問題とはいうけれども、ホームヘルパーより今一番切実なのは金の問題です。三級は障害者扱いされない、年金もない、障害加算されない、ということですからその問題と、やはり国連で問題になっている強制排除です。強制を排除するためのどういうサービスがいるか、というと最低限レスパイト、私たちが困ったときに駆け込めるショートステイが必要だと思います。
だから、ヘルパー制度ももっと使いやすくなればどんどん利用者が増えると思います。つまり、たとえば、極端に言えば、朝は調子よかったけれども夕方には調子が悪いということがあるわけです。今みたいに3ヶ月ごとに見直して、一日何時間、何曜日に来ますよ、というものでは使い物にならないのです。
だからむしろ、地域で登録した、10人の人に「今来て」といえば、事務所に待機していてくれて、私たちの要望にこたえてくれる、待機してくれるところにお金をつけるようなヘルパー制が必要だと思っています。それから検討会で尾崎さんがおっしゃっていたように、長期の入院の方たちの水先案内人としてヘルパーが病院に行くというのは非常にいいアイディアだなと思っています。
今の支援費制度ではおそらくできないし、精神障害者のホームヘルパーサービスは運用によってはできるかもしれないし、これを仲間がやって仲間が地域の水先案内人としてお迎えに行くという活動はとてもいいと思います。今の厚生労働省のやり方は、私たちに対する合理的配慮がまったくなくて、私たちがゆっくり議論したり考えたり勉強したりする暇もなく、あんた決めろ、委員だ、9月までに、というめちゃくちゃなことを押し付けられています。私たちもものを考えたり言ったりする暇がないという状況なので、ともかくスピードをさげ、本当に私たちの言うことを聞く気があったらスピードを下げろということをまずいいたいと思っています。
■司会
それは本当に通じることだと思います。最後に中西さんお願いします。
■中西氏
今日は高橋さんにだいぶせっついてもっとしゃべれよもっとしゃべれよ、とやってきたのですが、彼にしゃべらせる限界のところまではしゃべったのではないかとおもいます。歯切れが悪い、二階建ての部分はどうなるんだというと、彼の範疇にはおそらく情報はないでしょうね。何ももっていないから答えられないという状況なのだと思います。
ただこの後どうなるのということでは、昨日の夜大分せめよってきいていたのだれども、9月には入れなければならないんでしょう。9月にいれなければならないというのは来年の1月の通常国会に介護保険に障害者を組み込むという条文を入れた介護保険の改正法案を出さないと改正できないからです。
そのタイムリミットを見ると、1月に国会を通すためには、政治家の根回しをやらなければならない、その前に財界の根回しもやらなければならない、となると9月の時点で障害者の全団体が賛成して、入りたいといっているから根回し始めますという形をとりたいのがタイムスケジュールなんでしょ、というとそうだということでした。
9月の時点では少なくとも自立生活センターは9割は反対しているのだから、入りたいといったってはいれっこないでしょう?その場合はどうするの?精神知的だけ入れて、身体は省いてはいるんですか、と聞くと、それもあるかもしれません、と。そういう形がありうる。もうひとつは障害者の基礎部分はいれておいて、全身性の部分だけ介護保険からはずすということはありかな、と聞くとそれもありかもしれない、という。
だから8団体が合意していなくてもスタートは抜き打ちてきにありかな、というと、ありかもしれない、と。ですから9月に入った時点で抜き打ちはありうるんです。ありうるのだけれども、ありうるほどに追い込まれているということでもあります。ここのところ少し動きがあって、自立生活センターにはOKといってほしいので、僕を説得するために誰が説得すればいいんだということで、ぐるぐる回っている節もあります。これは成功しないでしょうね。
どこかで抜き打ち的にやった場合にどうするかということを運動側としては考えておかなければならない。まだまだ国会を通すまで戦う日にちは4ヶ月あります。そのためにはマスコミも見方につけておかなければならないし、政治家まわりもしなければならないというのがこの6月から9月までにわれわれがやらなければならないことです。
政治家周りはわれわれの文書をもってまわろうと考えていますが、マスコミに対しては福祉ネットワークとかいうNHK教育の番組が4月30日のシンポの模様をやりながら、論説委員と僕とアナウンサーでやるという番組をつくってもらいました。必要とすれば障害者はほとんど反対だよ、これはなかなか問題のある制度という主張でまとめてくれていますので。今日はパーティーでみなさんは見れないでしょうから、来週の月曜日の昼間の再放送をご覧ください。
今日の精神のことにしても運動が弱くなっているなと思うのが、精神障害者がホームヘルプサービスを市町村でどんどん立ち上げて、東京都はようやく、今年度で全50区市で実施になるのですが、八王子が最後なんです。アセスメントシートを他でやったやつをもらってきたのですが、自立生活センターが入っていて、こんなのをやったのかなというものがあります。
日常生活のことで、髪の毛をとくとか歯を磨くとか書いてあって、自立、半自立とか部分介助とかそういうことが書いてあって。市が言うにはこれは自立の理念の下にあるから、洗濯物がたためない人はたためるようになるのが自立だというから、そんな自立をいまどきやっているの?といって、介助を受けながら、洗濯物がたためなくても三ヶ月・4ヶ月楽しく暮らしていけるのな.らそれがいいんだから、介助使ったほうがいいんだよといいました。
これについては市の精神保健福祉士はオッケーという風になって、そのあと、また医者の診断書をもってこなければならないということを言ってきて、そんな診断書をもってこさせたら誰もサービスを使わないよ、もしもそんなものを行ったら、あなた課長として制度を作っても利用者がゼロになるよといって、それも辞めさせました。
なかなか精神の場合ほうっておくと、市町村は何も知らないのでサービスの受託側としてはやってもらいたいと思います。そういう日々の積み重ねがあって初めて今度の介護保険組み込みの問題も戦えるんだろうなと思うし、身体・精神・知的、当事者はみんな反対なんです。家族会の親たちは賛成、育成会、知的の親たちは賛成と言う話のだけで。育成会は親が施設の運営をしてしまっているから自分の所得がなくなったら生活ができないので、施設大賛成、介護保険に入れてほしいと思うわけです。これは作業所の安定を狙っている家族会としては誰もホームヘルプサービスのことは考えていない。
当事者は連帯できると思っています。2008年に向けて高齢当事者とも連帯をして、元気な高齢者とネットワークを組んでいくべきだろうなと思います。そういう政治結集、勢力結集をして介護保険の次の組み込みのときまでに実態をつくってたたかえる体制をつくり、そのころには、権利条約を日本国は批准する方向に動くでしょうし、そうすると国内でも差別禁止法の話題がでます。
その中でどんな重度の障害を持っても施設ではなく、地域ですむ場所を選んで介助をつけて暮らせますという差別禁止法が制定されていれば、それを根拠に介護保険に入れようという運動と戦えるだろう、と。そういう日程で権利条約の方も動いています。とにかく延期が第一条件、その次に2008年に戦う準備をみんなでやっておきましょう。時間的余裕があればあるほど実態を積み上げて、介護保険に入ろうともほとんどどこでもサービス低下をきたさないというやり方が必要です。
そして介護保険のシステムを使わず、財源だけ使う、くらいにしないと。これも僕は危険だと思っているのですが、財源を使うと絶対制度がついてくると思うのです。税金でやる支援費を最後まで残したいなと言う意味では変わらずやっていっていきたいと思います。
■司会
どうもありがとうございました。長時間にわたって地域生活を守るというところでお話していただきました。聞いてくださった方もお疲れさまでした。そしてパネラーの皆様本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。9月にむけて息を抜けない状況の中で、日々の派遣とか運動とか、自立生活センターならびに事業所の人たちには大変な日々ではあると思いますが、お互いのネットワークでエンパワメントしあいながらこの危機を元気に活かすべく活動をしていきたいと思います。本当にありがとうございました。