逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者 ロゴ 
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<大地震>

頚椎損傷の障害者のインタビュー画像 頚椎損傷の障害者

ちょうどベッドの上に上がった時、揺れがあって看護婦さんに体をおさえてもらい、ヘルパーさんにテレビが倒れないように抑えてもってもらったんです。
かなりの揺れがあって、もうびびりまくりですね。
ほんとに一人だったらと思うとやっぱりこわかったですね。



<大津波>

サポートセンターピア代表のインタビュー画像 サポートセンターピア代表

ここ、全部、家だったんですよ。
びちっと。
南相馬は、だいだい行方不明も含めて900人亡くなっています。福島県で一番多くなっている地域です。ここから海が見えなかったんですよ。そこからずっと山の際までずっと家だったんです。それが、それが一軒もない
ゼロになったこれが津波の凄さですね


津浪で亡くなられた佐藤さんの画像 いわき自立生活センター理事長

ここが亡くなった佐藤さん(筋ジストロフィー)の家です。
ここに家があったんです。
車いすにのせようとしたとき、振り返ると向こうにある屋根よりも高い波が来るのが見えたそうです。
そこで佐藤さんは「もうあきらめましょう」って、言ったそうです。
ポツリと・・・・・・
その直後に波が、ドォーと津波がきたそうです。


いわき自立生活センター理事長のインタビュー画像













<原発事故>

視覚障害者のインタビュー画像 視覚障害者

皆さんに迷惑をかけちゃあいけないという気持ちを僕らは強く持っていますから。
支援物資がいつどこで配布されているかも分からない。
わかっても遠くてどうにもならない。
日にちを経過するごとに、あの時避難すればよかったとの思いは、だんだん募ってきましたよ。




障害児の親のインタビュー画像 障害児の親

周りの皆さんが震災で傷ついて疲れているのに、うちの子達はうーんきっとちょろちょろしたり、分からないことだらけなので、迷惑をかけてしまうということを考えましたね。
どちらにしてもつらい選択でした。
ここに残ることも正しい選択ではなかったし、子どもたちの健康を考えたらここにいてはいけないと言われるのは分かる。他人とのトラブルが起きな
                    い子は避難している。
                    多く残っているのは自閉の方ですね


脳梗塞で左半身にまひの障害者のインタビュー画像 脳梗塞で左半身にまひの障害者

すぐに避難しなさいといわれたの
だからトイレの段差のないとこ
車いすの入れるとこ、ってこれだけ要求したの。
・・・・・・
周りから、大丈夫って言われたけど、
「だめだから」なんていわれないし
(避難所では一度も横になれず、車いすに座り続けるしかなかった。)
眠れない
とにかく、うちさ帰りたかった




ケア・ステーションゆうとぴあ理事長のインタビュー画像 ケア・ステーションゆうとぴあ
理事長


福島の人たちは一番の悲しみを自分の心の奥そこにしまいこんで、開かずの間に入れこんじゃっていますよ。
がんばれがんばれって言われても
だけど流す涙は胸の中にいっぱい詰まっている。
・・・・・・・・・
その涙を出し切らなかったら、立ち上
がることなどできない



<県外での避難生活>

南相馬から新潟県新発田市へ避難の障害者 南相馬から新潟県新発田市へ
避難の障害者

昔(震災前)と今(震災後)と
私はちがうの  違うんだって
昔と今は
以前の私とはちがうの
違うんだって
自分に一番あっているとこを探したいと思ってるんで・・・・



<当事者派遣(障害当事者のボランティア)>

障害当事者ボランティアが仮設住宅のスロープをチェックする様子の画像 仮設住宅で救援のチラシを配る
(傾斜がきつく)怖いからやめておく









障害当事者ボランティアが被災した障害者の気持ちを聞いている様子の画像 被災障がい者の話を障害者が聞く
不安だったこととかきつかったこととか
まず吐き出してもらうことがスタートなんだと感じました。









<避難所>

避難所にいられなかった障害者のインタビュー画像 避難所にいられなかった障害者

ほんとに
だから行かない(避難所へ)絶対行かない。死んでもここにいるって誓ったんです。
何があっても、家から離れないことにしたんです。
絶対障害者って冷たい目でみられるの。
ほんとにほんとにくやしい思いをしました。泣けました。
物資だってくれませんでした。


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